「生が破綻した時に、はじめて人生が始まる」
幼友達が、姫路文学館で開催されている特別展「没後10年 作家 車谷長吉展」へ行ってきたと報告してくれた。私は彼女に、もし時間があれば、この特別展の図録を買ってきてほしいと依頼してあったのだ。密度の濃い、素晴らしい展示だったと聞いた。出来ることなら私も行きたいのだが、開催期間中に日本へ行けそうにはないのが残念だ。
展示を見て、車谷長吉の作品にも興味を抱き始めたという彼女に、私が繰り返し読んでいるいくつかの作品を紹介した。そして、随分前に読んで以来ずっと私の中で生き続けている彼の言葉についても話した。
「生が破綻した時に、はじめて人生が始まる」
これは、朝日新聞の連載「悩みのるつぼ」に寄せられたある相談に対し、彼が回答の中で語った言葉だ。私自身、自死は解決をもたらさないことを痛感したのち、自らの醜さや暴力性と自己欺瞞に向き合わざるを得なくなり、やがて母や家族を含む多くの関係を一旦投げ捨て、仕事も肩書きもすべて放棄して、野垂れ死にを覚悟した後、ようやく人生がはじまった。だから、彼のこの言葉は自分事としてよくよくわかる。
この言葉を初めて目にした時、私はまだすべてを放棄すること、即ち、社会的自己に同一化して嘘を生きる自分に破綻をもたらす準備はできていなかったと思う。しかし、当時近所に住んでいらっしゃった同郷出身の作家が語ったこの言葉は、私の心の深部に強く響いた。だから、この言葉は、その後の私の指針となったと言えるかもしれない。
以下は『車谷長吉の人生相談 人生の救い』 (朝日文庫) からの抜粋。
人は普通、自分が人間に生まれたことを取り返しのつかない不幸だとは思うてません。しかし私は不幸なことだと考えています。あなたの場合、まだ人生が始まっていないのです。
世の多くの人は、自分の生はこの世に誕生したときに始まった、と考えていますが、実はそうではありません。生が破綻したときに、はじめて人生が始まるのです。従って破綻なく一生を終える人は、せっかく人間に生まれてきながら、人生の本当の味わいを知らずに終わってしまいます。気の毒なことです。
あなたは自分の生が破綻することを恐れていらっしゃるのです。破綻して、職業も名誉も家庭も失ったとき、はじめて人間とは何かと言うことが見えるのです。あなたは高校に教師だそうですが、好きになった女生徒と出来てしまえば、それでよいのです。そうすると、はじめて人間の生とは何かということが見え、この世の本当の姿が見えるのです。
せっかく人間に生まれてきながら、人間とは何かということを知らずに、生が終わってしまうのは実に味気ないことです。そういう人間が世の9割です。
私はいま作家としてこの世を生きていますが、人間とは何か、ということが少し分かり掛けたのは、31歳で無一物になったときです。
世の中はみな私のことを阿呆だとあざ笑いました。でも、阿呆ほど気の楽なことはなく、人間とは何か、ということもよく見えるようになりました。
阿呆になることが一番よいのです。あなたは小利口な人です。