故郷の街と、今いる国と

チェコ共和国のペトル・パヴェル大統領が姫路城を訪問し、彼の立ち会いのもと、姫路城とプラハ城との間に姉妹城提携が締結されたそうだ。 姫路城の近くで生まれ育ち、現在はチェコに住んでいる私にとって、これはなかなか奇遇で嬉しいニュースだ。もし私の母や彼女のパートナーがまだ生きていたなら、パヴェル大統領の訪問も、姫路城とプラハ城の姉妹協定締結も、きっと喜んだことだろう。 虐待と依存の連鎖から逃れるため、大学進学を機に故郷を離れて以来、再びあの街で暮らすことはなかった。しかし、約20年をかけて自分自身を回復し、母との関係の再構築に取り組み、最終的に彼女の死を見届けてからは、故郷に対する印象も変化した。今となってはあの街は、強い愛着はないけれど、多くの思い出が残る懐かしい場所だ。 幼少期に母と暮らしたアパートからはいつも城が見えていた。通っていた中学・高校は城のすぐ隣にあったので、通学時には常に城が視界に入っていた。あまりに日常的な光景だったので、これまで強く意識したことはなかったけれど、現在住んでいる国の城とあの城との間に特別なつながりが生まれたのは、喜ばしいことだ。 40歳の頃、日本…

6年ぶりの再会

ブルノに住む友人が訪ねてきてくれたので、街を散策したりお茶をしたりしながらたくさん話をした。どうやら6年ぶりの再会だったようだ。そんなに月日が経ったとは思っていなかったので少し驚いた。 芸術行為そのものを目的として、創作活動に夢中で取り組み、研鑽を続ける中で自ら満たされている人との交流は、実に貴重で愉快だ。自ら創り出すことによって満たされている人は、他者からの承認を必要とせず、単独で循環/成立していて清々しい。 彼にも、私が描いた絵のポストカードの中からいくつか好きなものを選んでもらって手渡した。創造を通じて共振するのはただただ楽しい。いずれは個展などで原画を見てもらえるよう、作品数を増やしていきたい。…

過去について

犬を通じて親しくなった近所の友人との会話の中で、お互い、家族や義家族の中に依存と虐待の連鎖を含む機能不全があった(ある)ことを話した。彼女から、「あなたはそんなにも大変な状況からどうやって自己を回復したの?」と尋ねられ、私は久しぶりに自分の過去30年ほどの経緯をできるだけ簡潔に話した。 そして、「そんなにも多くの大変な経験を冷静に話せるなんてすごい」と言われて、自分の過去と回復のプロセスを話す時に、感情がまったく揺らがないことを改めて確認した。何年か前までならば、過去について話すと、時に涙が溢れたり背中が痛くなったりしたものだが、今となってはすべて淡々と話すことができる。 最近はそもそも人と話をする機会が少ないので、自分の過去について話すことは滅多にないけれど、今日のように、話の流れの中で相手が関心を持ったり、何らかのヒントやきっかけになるならば、きっとまた同じように正直に話すだろう。誰かを助けたい/誰かの助けになれるとは思わないが、自分の経験をシェアすることはできる。…

大きな絵を描いていた夢

まだ実際に絵を描きはじめる前、自分が画家(あるいはなぜか絵の描き方を知っている初心者)で、かなり大きな絵を描いている夢を何度も見た。当時はまさか自分が絵を描きはじめるとは想像もしていなかったので、面白なあと思っていた。腕を大きく動かして、ダイナミックに描いていた感覚は覚えている。 サーミランドのあまりに壮大な風景と静寂の中にしばらく身を置いてから戻ってきて、いずれは壁一面ぐらいの大きな絵を描きたいなと改めて思った。パステルで大作を描く人もいるし、必ずしも画材を変える必要はないのかもしれない。ただし、制作のための空間は必要になる。…

旅の跡

9日間ほぼ毎日10~20km歩いて山を登り続けたためか、旅から戻った後は脚の浮腫みがなかなかひかなかったのだけれど、今日になってようやく踝や足の甲の骨と血管が見えるぐらいにまで回復した。更年期で浮腫みやすくなっているのかもしれないが、今後山を登ったり長距離を歩いたりする時には、水分補給に気を付けようと思う。また、今回は普段からよく履いているトレッキングシューズを着用していたのだけれど、長距離を歩くためにはより相応しい靴を探す必要もある。 0:00 /0:24 1× サーミランドでは自然に誘われていくらでも歩ける気がした。…

サーミランドの余韻

これまでに経験したことのないほど壮大な風景と静寂に加え、一晩中太陽が沈むことなく明るかったため時間の感覚が狂ってしまい、まったく別の時空を旅してきたかのような不思議な感覚が残っている。実際にサーミランドに滞在したのは9日間だったが、まるで数ヶ月が経過したかのようだ。そして、まだ心はサーミランドを彷徨っている。 0:00 /0:28 1×…