6人の女性たちと自らの過去を語り合った夜

6人の女性たちと自らの過去を語り合った夜

昨日は、ある映像作家の実験的アートプロジェクトの一環として、チェコで暮らす「母国を離れた6人の女性たち」と集まった。各々の人生と、ここに辿り着いた物語を語り合うというセッション。私以外はみな欧州(西欧・東欧)出身で、私は最年長だった。自分の過去についてはこれまで何度も書いてきたけれど、複数人の前で、しかも英語で語るのは初めての経験だった。

テーマは「いかにしてこの国へ来たか」だったが、それを語るにはみな、幼少期や家族についても触れる必要があった。私の人生は紆余曲折の連続で、とてもすべては語れないので、端的に「私は虐待サバイバーでした」と切り出した。そして、幼少期から若年期にかけての生き難さと、30代で虐待サバイバーだと気づいてからの長い自己回復の道程を語った。

やがて、自分の生活と人生のすべてが自己欺瞞だと気づき、何もかもを捨てて、野垂れ死にを覚悟した。そこからの急展開、思いもよらない流れに運ばれてチェコに漂着した数奇な運命には、周囲から驚きの声が上がった。そこから本格的に自己の再構築が始まり、「自分自身へ還る」プロセスが始まった。自己を回復し、ようやく母との間に独立した個人同士の信頼関係を築いた直後、母の癌が発覚し、彼女を看取った。母を見送った後、私の中に後悔はなく、心は静かに満たされていた。

数年前なら冷静に語れなかっただろうと思う。皆から「壮絶な過去を経てきたと思えないほど、穏やかで朗らかだ」と言われた。

他の参加者たちの人生や内的な話を聞く中にも、それぞれに共感するものがあり、国境を超える静かな「繋がり」が場に生まれるのを感じた。最後に「母国語で母へのメッセージを書く」というワークがあった。参加者の中で唯一母を亡くした私は、自分が書いたメッセージを朗読し、録音されることになった。

後悔はなく、言い残したこともない私のメッセージはシンプルだった。母とこの地上で「母と娘」として出逢ったことは、互いに必要な経験だったと思っている。そして、彼女の寂しさを見つめ、最後まで見届けることができたことに、私は静かに納得している。

また、セッションの中には、異国で生きる中でのアイデンティティの揺らぎという問もあった。私は「日本でも自分は常にアウトサイダーだったし、どこにも属せなかった。そもそも私は、この地上の何処にも完全には属さずに、片足だけ地に着けて生きていく覚悟なので、移民として、個人の境界線と自由を尊重されながら生きている今は、むしろ快適だ」と話した。

数時間ではとてもまとめられない濃密なセッションだった。今回集まった女性たちとは、お互いに連絡先も交換している。必要が生じたら、きっとまた会うことになるだろう。