身体の居場所は

電車の窓の向こうに広がる南ボヘミアから中央ボヘミアにかけての風景を眺めていると、肉体的にはやはりここがわたしの居場所なのだなといつも感じる。 日本の風景や、味や、さまざまな記憶を、どれほど懐かしく思い出すことはあっても、それとはまた異なることのようだ。…

道路が同時に川のようにも砂丘のようにも見えた夢

今朝もたくさんの夢を見たが、大半は忘れてしまった。ただひとつ、強く印象に残っている場面がある。そこは東京でも大阪でもなかったが、日本のどこかの大都市のような場所だった。大きな幹線道路の上に、さらに大きな高架が建っており、周囲にはたくさんの高いビルが建ち並び、多くの人や車が行き来していた。 道路には大きなスクランブル式横断歩道があって、たくさんの人々がこちらに向かって渡ってくるのが見えた。同時に、その道路が巨大な川となり、その上を渡る人々と滔々と流れる澄んだ水が重なるようにして見えた。さらには、そこが真っ白な砂が広がる砂丘、あるいは砂浜のようにも見えた。いくつもの映像が重なって見えているような、説明しがたい光景だった。 わたしは、ある友人と二人で、幹線道路から一本脇に入った道を通ってどこかへ向かおうとしていた。すると、作業員らしき男性が、あるビルの横に、高さが180cmぐらいはありそうな赤い箱型の緊急装置を設置しようとしていた。それは火災などの災害時に使われるもののようだった。 わたしは彼に、この辺りはオフィス街で火災の可能性は低いので、別の場所(道路の反対側、向こう側)に設置する…

さくらを抱いて歩く夢

夢の中でさくらを抱いていた。 さくらは歳を取り、自力ではあまり歩けなくなっていたので、わたしは彼女を抱いて歩いていた。彼女の身体は少し痩せて軽くなっていたけれど、ふわふわした柔らかな毛並みは変わっていなかった。 わたしたちはショッピングモールのような場所にいた。店舗の間にある通路では、Vが近所の人たちや知り合いと立ち話をしていた。わたしは彼らと挨拶を交わした後、モールを通り抜けて奥にある自分たちのフラットらしい場所へ向かった。 さくらはあまり歩けないため、身体を擦り付けることが多いからか、毛が少し汚れていて、胸元には少し血が滲んでいた。わたしはVに「さくらを洗っても大丈夫だろうか」と相談していた。そして、さくらの胴を包むカバーを見つけて着させようかと考えていた。…

ボリビアの川の夢、母や祖母と旅をしている夢

夢の中でボリビアにいた。そこは高い山の上で、目の前には大きな青い川が流れていた。わたしは複数の女性たちと共に、川の畔で風景を眺めていた。時折船が驚くような速度で目の前を通り過ぎて行った。川の右手遠くにはターコイズブルーに輝く海が見えていたが、ここは高原なのだからあれは湖かもしれないと思った。 別の夢では、わたしは母と共に旅をしていた。わたしたちは知らない街で夕飯を食べに出かけているようだった。車で移動した夜の街の様子と印象だけが記憶に残っている。わたしたちは寿司を食べることにしたか、あるいは食べた気がする。 また別の夢では、わたしは母方の祖母と共に知らない街にいた。夕焼け空が広がる中、わたしたちは駅の方へ向かって歩いていた。途中、祖母が道沿いの工場の中へ入ろうとするのを止めたことを覚えている。やがて駅だと思われる古い建物が見えてきた。駅の周辺には大きな建物が建ち並んでいて、思いのほか都会だなと思っていた。 更に別の夢では、わたしは合宿か何かに参加しているようだった。古い知人が所有あるいは管理する場所に、知らない女性たちと共に滞在していた。持参していた古いブランケットに自分のもので…

ひっくりかえる

他者と向き合うことが怖かったり面倒だったりするのは、自分に向き合うのが怖かったり嫌だったりするからで、他者を拒絶したくなるのは、自分の中にもあるその要素を拒絶したいからだ。他者を通して見えているものは、実はすべて自分の中にある。 他者の中に見ている最も嫌悪/拒絶したい側面が、実は自分の中にもあることを認めると、おもしろいほどにすべてがひっくりかえる。自分の中の影を統合すると、見える世界が変わるだけでなく、環境そのものも変化する。…

自分と他者という陰陽

あらゆる「自分」と「相手」はひとつの中の陰と陽で、こちらが動けばあちらも動き、こちらが変わればあちらも変わる。しかし、こちらは動かず変わらずにいながら、あちらが動くことを期待するだけでは、同じ状態が延々と続く。同じことの繰り返しを終わらせたければ、自分でその陰陽から抜け出すしかない。 この「自分」と「相手」という陰陽は、「自分」の中の、そしてまた「相手」の中の陰陽を映し出す。自らの影を見ない人は、同じように自分の影から目を背ける相手と引き寄せあう。「自分」と「相手」という陰陽に変化をもたらす、あるいはそこから抜け出すには、自分の中にある陰と陽を自覚する必要がある。…

意図のとおりに

数日前、思いがけない申し出を受けて、急遽情報を集めて比較検討する必要が生じた中、時々見ているWEBサイトに実に的を得た情報が突然掲載されているのを見つけて、非常に役立った。その情報は翌日には削除されていた(おそらく買い手がついた)。あれはまさに上位の意識による図らいだったと感じている。 その時点では思いもよらぬ展開だったとしても、結局その後はいつも、より快適な/より相応しい環境や場が用意されて移行・移動してきたので、今回もまた、より適したものやってくるだろうと思っている。環境に右往左往するのではなく、環境がついてくる。 そもそもわたしは、地球どころか太陽系から抜け出そうとしているのだから、たとえ地球上のどこへ移動することになっても大したことではない。 一見不都合なように感じられる出来事も、実は「渡りに船」であり、意図した/されたとおりに展開している。究極的には地上の社会で起きることなど大したことではないので、どんなことが起きてもうまく利用していくだけだ。 すべては根本的な望みどおり、あるいは上位の意識が意図したとおりになっている中、地上的な自我だけがそれを「思いもよらない」と感…