Axel Fahlcrantz - ヨーテボリ美術館からのメール

先週訪れたヨーテボリ美術館は、19世紀末〜20世紀初頭にかけての北欧美術のコレクションでは世界一の規模を誇り、まさにその時代の北欧の風景画が大好きな私にとっては、夢のような空間だった。 しかし、私が特に敬愛する画家、Axel Fahlcrantz(アクセル・ファールクランツ)の作品は、残念ながら展示されていなかった。受付でスタッフに尋ねたところ、彼自身も「所蔵されている3点を長らく見ていない」と話してくれた。そして、「美術館に直接メールを送ってみて。そうしたらキュレーターが展示を考えるかもしれないから。」との提案を受けた。 そこで昨夜、感謝を込めて美術館へメールを送った。最大の目的だったFahlcrantzの作品は見られなかったけれど、展示内容がどれほど素晴らしかったか、そして、スタッフの皆さんが本当に親切だったことへの感謝を綴った。すると、今日早速、まずはあの時提案をくれたスタッフから、続いて、キュレーターからも直々に温かい返信を受け取った。 キュレーターからのメールには、以下のように書かれていた。 「あなたの意見にはまったく同感です。彼の作品は非常に興味深く、実は前回の常設…

6人の女性たちと自らの過去を語り合った夜

昨日は、ある映像作家の実験的アートプロジェクトの一環として、チェコで暮らす「母国を離れた6人の女性たち」と集まった。各々の人生と、ここに辿り着いた物語を語り合うというセッション。私以外はみな欧州(西欧・東欧)出身で、私は最年長だった。自分の過去についてはこれまで何度も書いてきたけれど、複数人の前で、しかも英語で語るのは初めての経験だった。 テーマは「いかにしてこの国へ来たか」だったが、それを語るにはみな、幼少期や家族についても触れる必要があった。私の人生は紆余曲折の連続で、とてもすべては語れないので、端的に「私は虐待サバイバーでした」と切り出した。そして、幼少期から若年期にかけての生き難さと、30代で虐待サバイバーだと気づいてからの長い自己回復の道程を語った。 やがて、自分の生活と人生のすべてが自己欺瞞だと気づき、何もかもを捨てて、野垂れ死にを覚悟した。そこからの急展開、思いもよらない流れに運ばれてチェコに漂着した数奇な運命には、周囲から驚きの声が上がった。そこから本格的に自己の再構築が始まり、「自分自身へ還る」プロセスが始まった。自己を回復し、ようやく母との間に独立した個人同士の…

新たな出逢いが続く日々

ヨーテボリで過ごした6日間は、思いもよらぬ出逢いの連続だった。 まずはプラハ空港での出逢いから旅は始まった。搭乗口のベンチでたまたま隣り合わせたのが岡山から来られたご夫婦で、ヘルシンキ空港で乗継までご案内しながらお話しをし、連絡先を交換した。お二人からは日本到着後すぐに心温まるメールをいただき、ぜひ岡山へも立ち寄ってくださいと言ってもらった。 ヨーテボリで滞在したホテルのレセプションスタッフの一人に、ヨーテボリ群島について幾つか質問をしたところ、彼女はまさにRörö島に住んでいたそうで、そこから話が広がった。彼女も絵を描いていて、ぜひ私の絵を見たいと言われ、すぐにInstagramで繋がった。彼女が選んだ私の絵のポストカードは、朝焼けのフィンランドの湖と、久米島のアーラ浜の夕陽だった。 滞在二日目の夜、ホテルのレストランスタッフの一人から、何処から来たのかと尋ねられ、そこから様々に話が広がった。タイから来たという彼女が作ったサラダは、アジア風の味付けで親しみやすかった。連絡先を交換することになり、私が描いた絵のポストカードを渡すことにした。彼女が選んだのは、私が暮らす町の冬景色だ…

ヨーテボリ美術館へ

ヨーテボリ美術館は、19世紀末~20世紀初頭にかけての北欧美術のコレクションでは世界一の規模を誇るらしい。まさにその時代の北欧の画家たちの風景画が大好きな私にとっては、夢のような空間だった。 残念ながら、一番の目的だったAxel Fahlcrantzの作品は現在展示はされていなかったが、Karl Nordström、Per Ekström、Bruno Liljefors、Eugène Jansson、Nils Kreuger、Gottfrid Kallstenius、Charlotte Wahlströmなどなど、他にも大好きなスウェーデンを代表する画家たちの作品を間近に見ることができた。 一通り見終わった後、受付のスタッフにAxel Fahlcrantzの作品について尋ねたところ、3点ある所蔵品を彼も長らく見ていないとのことで、「美術館宛にメールを送ってもらえるかな?そうしたらキュレーターが展示を考えるかも!」という提案を受けた。「では、『せっかくはるばるやって来たのに彼の作品が観られなくて残念だった』とメールに書きますね。これでまたここを再訪する理由ができた!」と笑って答えた。…

Galterö島からの帰り道

実は、無人島のGalterö島から石橋を渡って、船着場のあるBrännö島へ戻ってすぐ、細い岩場のルートへ迷い込んでしまった。そこは両手を使って岩を上り下りするような少々険しいルートで、途中何度も蜘蛛の巣が顔に引っかかり、直近に人が歩いた形跡がなかった。結局途中で引き返し、やっと元来た道に戻った。 Googleマップは役に立たず、感覚のみで歩いていた。海岸沿いを南下しているのはわかったので、歩き続ければやがてBrännö島のもうひとつの船着場に辿り着ける気はしていたが、既に10km以上は歩いた後だったので、険しい岩道を行くのは難しいと思ったのだった。 昨年夏にUtsjokiで、白夜の中を一人ツンドラの山を登っていた時に、ふと風が変化したのを感じ、風の音や木々の揺れ方が「これ以上は進むな」と言っているように感じて引き返したことを思い出した。Brännö島のあの岩道は、次に訪れる時に歩いてみればいい。…

Galterö島へ

ヨーテボリ滞在5日目は、南群島のひとつであるGalterö島を訪れた。ヨーテボリ市街地からトラムとフェリーを乗り継いで約一時間ほどで、まずは船着場のあるBrännö島へ。そして、一般車両の乗り入れは禁止されているBrännö島の中を徒歩で移動し、小さな石橋を渡ってGalterö島に辿り着く。Galterö島は、島全体が自然保護区に指定されている無人島だ。 0:00 /0:21 1× 数日前に訪れたRörö島と同様、Galterö島にも、氷河に削られた巨大な岩が連なっている。なめらかな岩の大地の合間には、緑豊かな平原や湿原が広がる。そして、ところどころに現れるラグーンには、カオジロガンをはじめとするさまざまな野鳥が数多く生息している。 遮るもののない空の下、吹き抜ける風の音と、鳥たちの声だけが響き渡る。 0:00 /0:15 1× 0:00 /0:13 1×…

Rörö島へ

数日前からスウェーデン第二の都市イェーテボリに滞在している。昨日は、今回の旅の目的のひとつ、ヨーテボリ北群島の中のRörö島を訪れた。イェーテボリ市街地からは、2つのバスと2つの船を乗り継いで、片道2時間ちょっとの遠足だ。 Rörö島には、氷河に削られたという巨大な岩が広がっている。剥き出しの岩と、その間に逞しく生きる植物の緑、点在する青い淡水の池、そして押し寄せる輝く海。強い風が絶え間なく吹き付けるこの島の風景は、原始の地球を彷彿させる。 Rörö島は、島の大半が自然保護区に指定されている。岩肌が広がり、常に強風が吹き付ける厳しい環境の中にも、実に豊かな植物の世界が広がっている。 岩でできた高台の上にひっそりとたたずむ淡水の池は、強風に晒される中でも静寂を湛えていた。この島には他にも大きな淡水の池がいくつかあり、多くの水鳥たちが生息している。どうやらここは、バードウォッチャーの聖地でもあるらしい。ちょうど今は親鳥が雛を育てている時期で、私が近づいたからか、たくさんの雛たちが大慌てで母鴨の元へと集まっていった。 0:00 /0:1…

偶然と必然と

Xで相互フォローしている方が京都を訪れていたようで、投稿された写真を見ているうちに、随分昔のことがいろいろと思い出された。 私は大学時代を含め、約10年ほど京都で暮らした。大学卒業後はただ生き延びるために様々な職に就き、住まいも何度か移った。友人の家を渡り歩いた時期もあったし、祇園町で間借り暮らしをしていたこともあった。当時はまだ自分の生きづらさの原因に気づいておらず、暴力的で支配的だった母から逃れ続けたい一心で、京都に留まっていた。振り返れば、あれはまるで、大波に浮かぶ小舟を渡るような日々だった。 数え切れないほどの出逢いや出来事があったはずだが、ふとした時に思い出されるのは、たとえば喫茶店の窓から眺めた雨に濡れる瓦屋根や、行く宛てもなく歩き続けた夜の街の匂いなど、一人でいた時のなんでもない光景がほとんどだ。 そういえば、少し前に、ある人が投稿された写真の中の歩道のタイルに目が留まった。それは、私が京都で一時期勤めていた事務所の近くの通りの歩道だった。場所の特定などできそうにない写真だったが、どうやら私の記憶には確かに残っていたようだ。時に、些細なものほど、より深く記憶に刻まれ…