2020-09-24 母を看取った後の日本滞在日記

7月上旬に日本に到着してからずっと怒涛の日々が続いている。母を在宅で介護して最期まで看取り、彼女を見送った後は、膨大な量の死後整理と相続、実家を親戚に明け渡すための物理的な整理、そして、柴犬さくらのチェコ移住準備を進めてきた。 そして、チェコでは、プラハを離れて南ボヘミアへ引越すための準備が進んでいる。わたしが日本にいる間に、チェコの新居が見つかった。長らく家を探してきた街とは異なる別の土地だが、なぜか惹かれる場所なので、ほぼ即決した。この数ヶ月間、実に多くの変化が起きた(まだまだその最中だ)。 チェコに帰ったら、これまでとはまるで違った生活が始まる。…

大きな川を上る夢、ボルヘス、アルゼンチンからのメッセージ

ゆったりと流れる大きな川の夢を見た。ヴルタヴァ川に似ていたけれど、どこにもない川のようだった。わたしは街から上流へと川沿いに移動していた。途中、川の両側に大きな岩場が切り立つ場所があり、わたしは川の真ん中から向こう側を眺めてその光景に感嘆していた。確か写真を撮っていたように思う。 上流に向かっても川は大きくて、たっぷりの水が滔々と流れていた。どんどん上流に向かうと小さな町が見えてきた。建物の様子や風景はやはりチェコのそれらに似ていた。わたしは、川の上に架かる橋に隣接された駅のようなところへ向かい、建物の中へ入った。そこから先は覚えていない。 この夢を見たあと、ホルヘ・ルイス・ボルヘス『詩法(The Art of Poetry)』の言葉を思い返していた。ピンホール写真を通して知り合ったアルゼンチンの画家から「以前から言っているように、君は夢の本を書くべきだよ。」というメッセージが届いた。…

カノープス

母の在宅看取りのために日本へ帰国するより前から、カノープスという星の名が何度も心に浮かんでいた。「カノープス」と題した詩 [https://hvezda369.cz/n65572c1a0a96/]も書いた。 母の死後、彼女の国民厚生年金の手続きに向かう道中に、車の窓から「カノープス」という名の特別養護老人ホームが見えて、なるほどと思ったのを覚えている。 このところまた、眠りに落ちる前に、カノープスへ行こうと意図している。しかし、残念ながら夢の印象を持ち帰ることができずにいる。実家に滞在している間は、膨大な量の手続きや出来事への対応に精一杯で、夢を現実へと持ち込む(夢を現実に浸食させる)ことがなかなかできそうにない。 さきほど、舞踏家の友人による「カノープス ~導きの星、舟は還る~」というパフォーマンスのお知らせを目にした。多くの人がカノープスと共振しているのかもしれない。…

2020-09-16 母を看取った後の日本滞在日記

母の在宅看取り介護の途中から撮りはじめたフィルムが、現像からあがってきた。同じカメラで撮った中で最も多くの良い写真が撮れた一本かもしれない。在宅看取り中の母の姿や、最後の笑顔、そして死の直後の顔など、どれもがリアルに思い出されると同時に、まるで物語の中の絵のようにも感じられる。四十九日が過ぎた。時折こうしてふと母の不在を実感する。…

2020-09-06 母を看取った後の日本滞在日記

唐突に「渡りに船」という言葉がサインのように何度も浮かんだ。そして、その意味するところがわかった。一見すると不都合だったり不愉快だったりする出来事は、実は渡りに船なのだ。だから、それに乗じて逃げればいいし、脱すればいいし、壊せばいい。 今日は、わたしの母のパートナー(内縁の夫)の娘さんに会った。互いに小学生だった頃以来、三十数年ぶりの再会だった。わたしたちは共に、幼少期から思春期にかけて両親の問題に巻き込まれた者同士(しかも、そこには同じ人物が関わっている)ということもあり、話がはずんだ。彼女はわたしに「父のような男性は、女性に無償のケア労働を平気で無限に求めてくるので、しっかり線を引いてください。ぜひ距離を取って、ご自分を守ってください。」というメッセージをくれた。…

2020-09-03 母を看取った後の日本滞在日記

7月上旬から母の死の瞬間まで毎日在宅看取りの日々が続き、その後すぐに葬儀、たくさんの死後事務、複数の相続手続き、母のパートナーのサポートなどに追われ、本当に休む暇がなかった(その状況は現在も続いている)。 そう遠くない将来に実家を明け渡して、ますます物理的に日本を離れることになるので、必要なものをチェコへ運ぶ準備や、税務申告の準備にも取り掛かっている。そんな最中にふと、本当に母はもうこの世界にはいないのだと実感した。 今日、わたしはとても象徴的な決断をしたところだ。…

巨大な飛行船と美しい人

今朝方見た夢の中で、わたしはアニメに出てくるような巨大な飛行船の中にいた。大きな窓の向こうには、巨大な羽根のようなものが見えていて、わたしは、そばにいた人に「あれはプロペラなの?」と尋ねていた。その飛行船のような乗り物の中は広々としていて、とても居心地が良かった。 そばにいたのは見たことのない男性だったが、夢の中では昔から知っている人のようだった。現実に存在していてもおかしくないようでいて、映像のようにも感じられる美しい人で、髪も肌も身に纏っているものもすべてが茶色~ベージュ色だった。彼のそばにいるのは本当に心地よくて、わたしはすっかり安らいでいた。…

2020-08-31 母を看取った後の日本滞在日記

母の死後の様々な整理に取り組みながら感じているのは、何事も、始めたり集めたりするよりも、終わらせて手放す/捨てる方が、よほど労力と時間がかかるということだ。モノも、コトも、関係も、常にきちんと終わりを終わらせ、片をつけておかなければ、やがて重たく膨れ上がって手がつけられなくなる。 そして、改めて思うのは、結婚/離婚、不動産/金銭権利の分割など、法的な手続きは自分が動けるうちに済ませておくべきだということだ。ずるずる後回しにしていると、結局自分が苦しむことになる。事実にしっかり向き合い、自ら取り組んで、関係も物事もきちんと片をつけておくのは本当に重要だ。 「ある」ものを「ない」ことにしても、そのツケは必ず自分に返ってくる。「ある」ものは「ある」と認め、向き合い、受け入れていくしかないし、そうすれば、自ずと解決していくものだ。自らの影も同じこと。自分の影に無自覚なまま「ない」ものとして生きていれば、その影は常に他者として目の前に現れ続ける。 情が邪魔をするなどと言うが、その根底にあるのは自己同一化だろう。誰かや何かへの情(執着)とは、自分が「ない」ものにしている自らの影の投影であり…