まず何よりも自分自身であるという実感

友人との会話の中で、祖父が晩年に自分の娘(わたしの母)を「おかあさん」と呼んでいたことを思い出した。祖父には、たとえば幼少期に実の母親に思う存分甘えられなかった等の影響があったのだろうとは思うが、それと同時に、個よりも先に立場や役割がある(むしろ、それしかない)日本社会のパターンを実感した。 立場や役割という鋳型と自分が同一化している上に、相手を名前ではなく役割で呼ぶ習慣があるので、自己同一化がひたすら強化されるのが日本社会のシステムだ。たとえば、わたしの母が「わたしは、誰かの娘である前に、母である前に、女である前に、日本人である前に、まず、わたし自身である」と実感できていたら、状況は違っていただろう。 わたしは、「チーム内のお母さん」とか「このグループの父親役」というような表現にも違和感を覚える。そういう表現を目にするたびに、日本(語)社会には個という概念がないのだなと感じる。役割や立場が個を侵食している。「日本人には親がいない、物理的にはいるのにいない、孤児みたいな心を抱えた人が大勢いる」という友人の言葉は腑に落ちる。…

河童

池の周りに河童が数匹 何をしているかしらないが みなめいめいに働いている 河童の躰には贅肉がなく その動きには迷いがない 池の向こうから男が一人 釣竿を肩にかけている 河童がすばやく男を捕らえ 池の中へ引きずり込む 男は声すら上げられない 完璧だった 一瞬だった 天晴だった 恐ろしかった 男の体は河童に喰われ 河童を作る材料になる 河童になる 河童になる…

罪人

木で組まれた簡素な小屋で 男が最後の飯を待っている どんな罪を犯したのか これから死ぬことになっている 料理係は浅黒い肌の女 がっしりと豊満な体つき いとも長閑やかな動きで 四角い膳に飯を載せる 小屋の中には骸骨が一体 過去に処刑された者らしい 男は骸骨に見つからぬよう 柱に隠れて食わねばならない 熱帯樹の枝の上では 極楽鳥が下界を見ている 骸骨が飯の匂いを嗅ぎ かたかたぎこちなく動いている 女はまるで平気な顔で 慣れた手つきで飯を運ぶ 男も肚の据わった素振りで 粛々と匙を口へ運ぶ 鳥が啼く 骸骨が笑う 雨が降る 慈悲が降る…

カノープス

気づいたら川沿いの道を歩いていた ゆったりと流れる大きな川は濁った青緑色 向こう岸には深緑の森が広がっている 誰もいない とても静かだ ぽつんと小さな魚屋があるのを見つけた 陽はまだ高いがもう店じまいをしている 発泡スチロールの上に置かれたホタテ貝 乳白色の立派な貝柱に引き寄せられる まだホタテ貝はありますかと尋ねた 水を撒いていた女性が無言でうなずく 六つ、七つ、いや、九つくださいとお願いする きっとそのまま刺身で食べるだろう 九つのホタテ貝をぶら下げて歩いた 視線の先でカーブを描く白いガードレール 川は無言でゆっくりのたうっている 誰にも会わない とても静かだ どこへ向かっているわけでもなかった 午後の空気が浅葱色に染まっていく 川を渡るという声が聞こえる 鉄塔がそびえる角を曲がることにする 気づいたら視点が上昇しはじめた 一瞬で高く昇って鳥のように世界を見下ろす どうやらカノープスに乗ったらしい 舟で九つのホタテ貝を食べよう…

五角形とカノープス

昨夜から今朝にかけてもまた夢をいくつも見たけれど、ぼんやりとした感触だけが残っていて、内容は忘れてしまった。夢から覚めた後もじっと目を閉じたままでいたら、影になった五角形が浮かんだ。そのビジョンを追っている間に「カノープス」という名が浮かび、「そうか、カノープスになればいいんだ。」と思った。 恒星カノープスは、古い価値を壊して、今までは無意識であったものに案内する役割。死後の世界の旅を案内する船。恒星パランを確認すると、水星と金星がカノープスとパランしている。ヘリオセントリックの土星もカノープスと合だった。…

魚屋でホタテを買う夢、垂直に上昇する飛行機の夢

小さな古い魚屋の軒先で、大きな殻付きのホタテが売られていた夢の中のシーンが印象に残っている。そこはアジアの片田舎のような場所で、ゆったりと流れる川に沿った道にぽつんと魚屋が建っていた。わたしは、せっせと働いている中年女性にまだホタテはあるかと尋ね、6つ、7つか、いや、9つくださいと言った。 同じ夢だったか、それとも別の夢だったかは覚えていないが、わたしは水陸両用の乗り物に乗っていた。建物の中にある木造階段を勢いよく下って、そのまま外へとダイブし、目の前を流れていた大きな川に滑らかに着水した。 別の夢では、わたしは大きな飛行機が離陸するのをすぐ近くで眺めていた。飛行機はこちらに向かって離陸した後、真っ直ぐ上に向かって垂直に飛んで行った。巨大な飛行機の腹が頭上でぐいっと上向きに転換し、勢いよく上昇していった様子を覚えている。…

癌の治療を受ける母を見て思うこと ー 病の根底にあるのは自己同一化と自分の不在

日食の翌日から、蛾が纏わりつく夢を見て叫んで目覚めることが二度続いた。これは何かあるなと思っていたら、左上の奥歯が痺れるように痛むことに気づいた。眠っている間に食いしばっていたのだろう。中医学における歯と臓器の繋がりについて書かれた記事を読んだ。それによると、痛みがある歯は、胃・膵臓と繋がりがあるらしい。 日本にいる母が、月曜日にまた緊急入院した。昨年11月の膵頭癌摘出手術で結合した部分に癌が見つかり、切除が難しいと説明を受けたそうだ。また、胆管炎を発症しているため、化学療法は中止され、担当医と内科医が今後の治療について相談しているらしい。このことが、わたしの中でまだうまく消化しきれていないのだろう。 母から癌治療に関する報告を受け取るたびに、癌や臓器を「切除する」「消す」という表現に違和感を覚える。いくら癌化した部分を取り除いたとしても、癌化した根本原因は治癒していない。それはまるで「都合の悪い部分を(しかも他人の手で)除去し、なかったことにする」ようなものではないか。 社会内相対的自己=小さな自己が自分であると思いこみ、肉体を置く地上社会が世界のすべてだと思いこんでいる…

マンデーン占星術とチェコ共和国始原図

レイモンド・A・メリマン氏の『マンデーン 2020』を読みながら、冥王星リターン真っ只中のアメリカ合衆国の始原図(建国時のチャート)を見ているうちに、ふと気になって、チェコ共和国の始原図を出してみた。さらに思い立ち、そこに自分のネイタル図を重ねてみて驚いた。チェコの始原図の月にわたしのネイタル金星がぴったり合になる他、かなり近いコンジャンクション(オポジション等、他のアスペクトも)が複数ある。相性というか、地上の縁とでもいうのか、こういう発見があるから占星術はおもしろい。 わたしはマンデーン占星術については詳しくない。しかし、チェコ共和国の始原図における、IC上にある太陽と、そのすぐ近くで天王星と海王星が合になった配置からは、「共有された夢と理想による革命」という言葉が浮かんだ。そして、「真実の生の意義」を説き、ビロード革命を率いた劇作家ヴァーツラフ・ハヴェル氏が初代大統領を務めた歴史的事実が思い出された。アセンダントは天秤座8度「荒廃した家の中で燃え盛る暖炉 」。これは、失われていた理想と希望の復活の象徴だ。チェコ共和国は「真実は勝つ」という成句(ヤン・フスの言葉に由来すると言われ…