我即世界

わたしの経験は、わたしを通して起きた世界の経験であり、わたしの言葉は、わたしを通して表れた世界の言葉である。だから、わたしの身に起きたことは、わたしだけのものではないし、わたしが語った言葉も、わたしだけのものではない。 同じように、誰かの経験もまた、世界に起きたことであると同時にわたしの身に起きたことでもあり、誰かの言葉もまた、世界の言葉であると同時にわたしの言葉でもある。 わたしが目にするどの人も、その人であると同時にわたしでもあり、世界で起きていることは、わたしに起きていることでもある。…

最も直面したくないことを直視すれば

わたしたちが問題だと感じることは、わたしたちが最も直面したくないことを認めれば、自ずと解消される。なぜなら、物事はただ変化しているだけであり、出来事はただ起きているだけなのに、わたしたちの都合や拘りがそれを”問題”に仕立ててあげているからだ。最も恐れていること、最も受け入れがたいことの中にこそ、”問題”を解消する術がある。…

香りを作ること

以前に「シチリア」や「プラハ」をテーマにした香りを作ったことがある。その土地の匂いを再現するのではなく、街の名は記号であり、そこから想像できる色や気配やイメージを香りにした。ふと「モンサンミッシェル」や「アヴェイロ」や「バルト海」の香りも作れそうだと思った。ならば、雲や空や水の香りも作れる。 そういえば、音楽家や写真家との即興表現セッションの中で香りをつくったこともあった。その場で生み出される音に反応しながら即興で香りを調合した。あれもおもしろい体験だった。…

大きな意図

立場、役割、属性、財産、肉体、誰かや何か等、あらゆる形あるものはすべて一定にはとどまらず、必ず変化し、やがては消えていく。そんな不安定なものは、手段にはなり得るけれど、究極的な目的にはなり得ない。ここを間違えると、人は常に満たされないまま流され続ける。 大きな意図とは、相対的で不安定な獲得のことではなく、どのような内的状態に至るかということ。何にも依らず、何からも左右されることのない、不滅の状態。…

友へのメッセージ

友人に宛てて書いたメッセージ。 「すべてを失った」のではなく、すべてをリセットしてゼロから自分のための人生を作っていく、まっさらな状態から自分自身を作っていく、というあなたの意図が実現したのではないですか。 すべてが無になった、自分には何もない、と感じる時こそ、小さな自己を超える大きな意図をダウンロードして人生の軌道を変えていくチャンスだから、どういう意図を持って生きるのかを自分自身で考えて決意するのがいい。そこで誰かの意見やアドバイスに基づく選択をすると、流されたままになり、同じことを繰り返して「自分は結局何もしていない」ということになる。 まず、何をしていると楽しいのか、どうすれば自分に満足できるのか、何が本当は嫌なのか、どんな状態でいたいのかをはっきりさせる必要がある。自分の中にあるあらゆる感情、感覚を、ありのまま認めて、感じていく。そうして、自分が本当に求めていることを認めて、その状態を自分で作り出していくこと。 人は、意図したとおり/望んだとおりにしかならないので、誰のためでもなく、何のためでもなく、あなた自身が本当に望むことを意図するのがいい。手段を目的にするのでは…

いいはじまり

昨日、初めて日本のAmazonから書籍を購入してみた。香りづくりの材料や、絵具と画材道具も物色している。昨年以来、日用品以外の買い物はほとんどしていなかったので、久しぶりに少しまとまった自己投資をしている。 今日は、先日オーダーした大きな机が届いて、Vが早速組み立ててくれた。高さが自由に変えられるので、座っても立っても使える机だ。パソコン仕事に使うのはもちろんのこと、香りでも、写真でも、コラージュでも、絵でも、何でも作れる創作場所にするつもりだ。 さらに、長らく配送不可だった家具がなぜか急に配送可になっていたので、足りていなかった収納家具と椅子もオーダーした。これでようやく、段ボールに入れたままの写真集や、本や、身の回りのものを収納できる。空間が整い、使えるスペースもさらに増える。 Vが「(二人とも)専用の大きな机は来たし、椅子も届くし、家具もようやく揃って整理ができるし、12月はいい始まりだね」と言っていた。晴れた空へむかって気持ちよくテイクオフするような気分だ。…

意図を打ち出す

さくらのごはんを作っている最中、不意に「意図があるものには勝てない」という言葉がやってきて、すとんと腑に落ちた。 意図を持たないものは、意図があるものに流される。巻きこまれて流されたくなければ、自分の意図を持つしかない。 松村潔氏は「人生は意のままにならないんです、という人は、高次思考センターが不在だからであり、(そういう人は)流木として生きなくてはならない。」と書いていた。 思うようには生きられない、運命は変えられない、などという人は、自らの意図を持たない/打ち出さないが故に、流され続けているということだ。…

2本の抜歯と物語からの脱却

今日もまた抜歯術を受けてきた。マイクロスコープを使った根管治療を始める前に医師から説明を受けて納得していたので、治療途中に抜歯へと施術が変更されてもすんなり受け入れることができた。 9月に上顎左の第二大臼歯を、昨日は右の第二大臼歯を抜歯した。いずれも周期的にトラブルが生じては、何度も治療を受けて来た歯だった。第二大臼歯は母親・父親との関係を表すという説を知り、なぜこの2本の歯にばかり負担が生じていたかがわかった。抜歯した今はもう不要な無理が生じることはない。 昨年夏に母が肉体を有する個としての存在ではなくなり、長年続けてきた”物語”がいよいよ完結した実感を味わった後、歯を抜くことになった。父はまだ生きているが、先日久しぶりに電話で話をした際に、心地よい分離感を味わった。そうしてまた歯を抜いた。ようやく単独で自分を生きる・創る時が始まる。 立場ではなく、属性でもない、ただの生き物としての感覚を味わいながら、どんな影も統合して、自分を大きくしていく。意味や理由ではなく、過去でも未来でもなく、ただただ今現在の自らの取り組みに専念する。自分を生きるってそういうことだ。そうして、縦軸を自在…