出現を待つこと

言葉は追いかけると逃げる。とらえようとすればするほど取り逃がす。だから、風の通り道を作るように自分の状態を整えて、あちらの方からやってくるのを待つ必要がある。 写真も同じだ。追えば追うほど逃し続ける。だから、あちらからやってくるのを待つしかない。それも、ただ待つのではなく、やってきたものに自ずと呼応するよう、通りのよい自分でいる必要がある。 こう書いてみて、言葉も、写真も、手段なのだと実感する。言葉や写真が目的ではなく、言葉を通して描き出される何か、写真を通して現れる何かこそが目的なのだ。そして、それは、捕まえようとすればするほど逃げていく。だから、手段が何であれ、自分自身の通りをよくして、静かに待つことだ。 見つめることと待つこと、それが美しいものにふさわしい態度である。自分で考えつくことができ、欲求することができ、願望することができるかぎり、美しいものは出現しない。だからこそ、すべて美の中には、除き去ることができない矛盾、苦、欠如が見出される。 ― シモーヌ・ヴェイユ…

草野マサムネさんと一緒に歌う夢

夢の中で草野マサムネさんと一緒に歌っていた。船あるいは宇宙船の中のような空間だった。二段ベッドのくちゃくちゃになったシーツの上で、気持ちよく最後まで歌いきった。彼が書く歌詞は声に出して歌うと気持ちいい。あちらでもなくこちらでもない境界線上をうまく描いている。 確か、彼の火星は水瓶座15度「フェンスの上にとまっている2羽のラブバード」で、わたしの水星と同じ位置だった。他の天体もなるほどという配置だったのを覚えている。彼が書く歌詞はわたしの中である種の型になっている。その言葉にはするりと向こう側へ抜け出すような作用がある。…

肯定のための否定は要らない

偶々目にしたRTのツイート主のプロフィールに「〇〇は絶対に利用しない○○従事者」と書いてあり、自らがそこまで強く否定する業界で仕事をするのは苦痛ではないのだろうか、彼あるいは彼女はその自己矛盾に気づかないのだろうかなどと思ったが、それを目にしたということは自分の中にも同じような自己欺瞞がある(あった)のだろうかと、視点はすぐ自分自身へと切り替わった。 そうして、わたし自身は先々までを含む自分の行動や選択について「絶対」という言葉はそう容易く使えないなと思った。 また、何かを肯定するために、それ以外を強く否定すると、否定するもの=影にしたものへの執着(否定的感情)がむしろ強まるだけで楽ではなさそうだし、そういったしんどい”闘い=自作自演の否定と分離の物語”はもう本当に要らないなと改めて感じた。…