古い知人が現れた夢

8年ほど前に死んだ知人が夢に現れた。 昔の実家に似た建物の中で、わたしは法事か何かを取り仕切っていた。座敷にはテーブルがいくつも並んでいて、既に多くの人が集まっていた。玄関の前に仕出し屋の車が停り、知人がオーダーしたという寿司や料理が届いた。わたしはそのあまりの豪華さと量に驚いた。調理用白衣を着た配達人は、わたしが驚いているのが嬉しいようで「うちの寿司は豪華でしょう!」というようなことを言っていた。 わたしはその豪華な寿司やたくさんの料理をテーブルへ運んだ。やがて知人が到着した。彼は生前と同じく優しい雰囲気を纏っていた。しかし、顔ははっきりとは見えなかった。 既に亡くなっている人が夢に現れることは割とよくある。しかし、彼らの顔や姿はいつも曖昧ではっきりと見えることがない。母方の祖母は夢の中ではいつも少し離れたところにいて姿すら見えない。それでも、それが誰なのかはわかる。 既に肉体という物質的な形を脱した彼らの顔や姿がはっきりと見えないのは当たり前だ。夢の中の彼らは、実際には生前の彼らではない。わたしの意識が、夢の中での体験を描写するために、彼らを象徴あるいは記憶の型として利用し…

思いがけない楽しい交流

旧市街のある場所でピンホール写真を撮ろうとしていたら、向かいから歩いてきた人に、いい光景だから写真を撮ってもいいかと尋ねられた。彼もこの場所で写真を撮りたいのだと思い承諾したところ、彼はわたしの写真を撮りたいのだと言った。考えるよりも先に「いいですよ」と答えていて、わたしはライカを手にしたまま写真におさまってみた。ごく自然な流れだった。 彼はデジタルカメラ、わたしはR型と、タイプは違えどライカのカメラを持つ同士ということから自然と会話が始まり、しばし立ち話をした後、互いのWEBサイトやInstagramアカウントを教えあった。突然の巡りあわせには驚いたが、不思議と話が弾む楽しいひとときだった。…

すべて今ここにある夢

夜中にふと目が覚め、暗い部屋に横たわったままぼんやりしていると、記憶の中のさまざまな情景が走馬灯のように蘇っては流れていく。そうして過去に見た景色を辿るたびに、過去はすべて今にある、あるいは、すべての時はひとつのところにあることを実感する。 記憶の中の情景はどれもがいつも鮮明なまま、時を経ることがない。 すべてのあの場所、あの時が、今ここにある。 そして、それらを見ている「これ」は一体誰なのかと不思議に思う。…