雨上がりの湿地を裸足で歩く夢、どしゃ降りの中で鳩に話しかける夢

名前を思い出すにも時間がかかるほど古い知人が夢に登場した。既に亡くなっている父方の叔父や祖母もいた気がする。 雨が上がった後の湿地を裸足で歩いていた場面が強く印象に残っている。足に触れる水や泥や草の感触がリアルによみがえる。 雨が降る夜の街を自転車で移動していた場面も覚えている。乗っていたのは普通の自転車ではなく、わたしはかなり前傾姿勢になって高速で走っていた。途中、商店街のような場所や、デパートの中のような空間を通り抜けた。わたしは「随分夜遅くまで営業しているんだな」などと思っていた。 道路が川になりそうな程の土砂降りの雨の中、一羽の鳩がガラス張りの建物の前にぽつんと佇んでいるのが見えたので、近づいて「雨宿りをしなよ」と声をかけたら、鳩はハッと目が覚めたかのような顔をして、ぴょんぴょんと飛び跳ねて屋根の下へと移動していった。 また、別の夢あるいは別の場面では、わたしはやはり夜の街を歩いていた。そこは入り組んだ路地にさまざまな店舗が軒を連ねる古い街で、薬局や居酒屋の看板に明かりが灯っていたのを覚えている。わたしは、昔の実家に向かっていたような気がするが、そこは実際にはまったく知…

粒子のゆらぎ

目の前にあるすべての存在が突如として無数の粒子の流れや揺らぎとして見えた6~7年前の体験について、久しぶりに人に話した。あの時わたしは初めてやってきた感覚に驚きながら、粒子のゆらぎや偏りを脳が形として認識・解釈しているだけで、すべての形は通過点でしかないのだなと妙に納得した。 そして、やはり自分が自分だと思っている「自分」は一瞬そのように見えただけのものなのだなと思った。「自分」だけでなく、自分の中で繰り返し作り出される「過去」も「記憶」も、そこに登場する「他者」も、やはり同じく、一緒そのように見えたというだけの通過点であり、ある種の幻のようなものだ。…

"Transcend yourself"

今日はある人に宛てた返事の中でこんなことを書いた。 母そして「家」からの逃走は、社会や「国」からの逃走、あるいは、あらゆる属性や立場からの逃走、そして固定化されたアイデンティティからの逃走でもありました。そうしたあらゆるレベルでの逃走は同時に、物理的条件からの逃走、地球そして惑星、つまり相対性からの逃走にも繋がっていた気がします。…

自分とは何か

自分で自分だと思う「自分」など水面に反射する一瞬のきらめきのようなもの。 ある日ふとそう思ったのを今でも時々思い出す。 消しゴムでこすってみようアイデンティティとかいうそのまぼろしの枠…