萩原朔太郎のステレオ写真と、わたしがピンホール写真を撮る理由

萩原朔太郎がステレオ写真の愛好家であったことを初めて知った。彼は、10代の頃から写真を撮りはじめ、自らで現像や焼き付けもしていたそうだ。そして、友人たちから「玩具のようなもの」と笑われたというフランス製のステレオカメラを、「唯一無二の伴侶」と呼んで終生愛用していたのだという。 彼の長女である萩原葉子の著書『父・萩原朔太郎』の中にある晩年の朔太郎についての記述によると、 「まくら元にはたばこ、囲碁の切り抜き、立体写真、雑誌、睡眠薬、おにぎりなどが置いてあり」「いつものように」「腹ばいになって立体写真に見入っていた」らしい。 昭和14年にアサヒカメラに掲載されたエッセイ『僕の写真機』の中で、萩原朔太郎はこのように書いている。 「元来、僕が写真機を持つてゐるのは、記録写真のメモリィを作る為でもなく、また所謂芸術写真を写す為でもない。一言にして尽せば、僕はその器械の光学的な作用をかりて、自然の風物の中に反映されてる、自分の心の郷愁が写したいのだ。」 「かかる僕の郷愁を写すためには、ステレオの立体写真にまさるものがないのである。なぜならそのステレオ写真そのものが、本来パノラマの小模型で、…

祖母と買い物をする夢と、広大な赤土の荒野の夢

夢の中で、父方の祖母とともに商店街を歩いていた。わたしは露店で売られていた日傘のひとつを手に取り「色も柄もかわいいけれど、きっと使わないな」と思っていた。祖母はラメの入った黒いニットを試着していた。その時には祖母の姿ははっきり見えていたけれど、他の場面では祖母の姿は見えなかった。 別の場面または別の夢では、わたしは広大な赤土の荒野にいた。見渡す限りの荒野はまるで地球上の景色ではないようだった。そこには線路と小さな駅があり、電車が走っていた。電車から降りたのか、それとも別のところへ向かっていたのか覚えていないが、電車の脇を通り抜けて歩いた。…

影を統合する

「正しいこと」をやればやるほど、自分の外側に「正しくないこと」を作りつづけるのがこの世界の摂理。「正しくない他者」は自分の影だ。そこから脱するには陰陽の外に出る=統合するしかない。自らが無意識に影にしてしまっているものを認識し、統合していく。この取り組みは死ぬまで続く。…

わたしたちは自分自身に取り組むことしかできない

自分の中から「正義」が発生した瞬間、それ以外の部分は影=不正義になる。しかし、本来自分とは影をも含む全体なので、正義も不正義も自分自身だ。だが、「正義」のみを見てそれに自己同一化すると、わたしたちはその事実が見えなくなる。そうして、個も、集団も、無自覚に分離を繰り返す。 自分の外側に見ていることはすべて自分の中に起きていることだ。誰かや何かに対して「正義」の思いが生じたなら、同時に「不正義」もまた自分の中にある。だから、まず取り組むべきは、そうした自分の中の無自覚な分離を認識して統合することであり、外側に向かって「正義を振りかざす」暇などない。…