萩原朔太郎のステレオ写真と、わたしがピンホール写真を撮る理由
萩原朔太郎がステレオ写真の愛好家であったことを初めて知った。彼は、10代の頃から写真を撮りはじめ、自らで現像や焼き付けもしていたそうだ。そして、友人たちから「玩具のようなもの」と笑われたというフランス製のステレオカメラを、「唯一無二の伴侶」と呼んで終生愛用していたのだという。 彼の長女である萩原葉子の著書『父・萩原朔太郎』の中にある晩年の朔太郎についての記述によると、 「まくら元にはたばこ、囲碁の切り抜き、立体写真、雑誌、睡眠薬、おにぎりなどが置いてあり」「いつものように」「腹ばいになって立体写真に見入っていた」らしい。 昭和14年にアサヒカメラに掲載されたエッセイ『僕の写真機』の中で、萩原朔太郎はこのように書いている。 「元来、僕が写真機を持つてゐるのは、記録写真のメモリィを作る為でもなく、また所謂芸術写真を写す為でもない。一言にして尽せば、僕はその器械の光学的な作用をかりて、自然の風物の中に反映されてる、自分の心の郷愁が写したいのだ。」 「かかる僕の郷愁を写すためには、ステレオの立体写真にまさるものがないのである。なぜならそのステレオ写真そのものが、本来パノラマの小模型で、…