夢の中でたくさんの実存する人物に会う

今日は実にたくさんの夢を見た。夢を見るたびに目を覚まし、その度にぐったり疲れを感じるほど、どの夢もみなリアルだった。この数ヶ月間答えが出せないまま考え続けていることがあり、また、身体のあちこちにこれまでになかった症状が生じてストレスを感じていたので、夢の中で解消したかったようだ。 それぞれの夢には実存する人物が現れた。既に亡くなっている母や祖父母もいたし、従弟や親戚もいた。10年以上前に離婚した元夫もいた。長年顔を合わせていない古い友人や、過去に一度だけしか会ったことのない人もいた。夢の具体的な内容はほとんど忘れてしまった。 はっきりと覚えているのは深い雪の中を車で移動している場面だ。車を運転していたのはある歌人だった。どこへ向かっていたかは思い出せない。古い友人が一緒にいたような気もする。 高いところから下にいる人たちを見下ろしていた場面もうっすらと覚えている。下にいたのは、従弟や伯父伯母たちだったと思う。祖父母や母もいたような気がするが覚えていない。建て替えられる前の古い実家にあった階段が見えていたけれど、わたしがいた層と階下は繋がっていないようだった。…

坂道のある街、小さな古書店、まったく知らないのに懐かしい人

夢の中でたくさんの坂がある街にいた。どこに向かっていたのかはわからないが、わたしはバスに乗って坂を上っていた。坂の上にあるうどん屋は美味しいよと誰かが教えてくれた。 別の場面で、わたしは緩やかな坂道を歩いていた。両側に軒を連ねるさまざまな店の中に、小さな古書店があった。店内には書籍だけでなくレコードもたくさんあった気がする。店のオーナーは懐かしい知人のようだった。実際には全く知らない男性だったが、名前すら覚えていない大学の先輩に少し似ていた。…

日本にあるのは政治ではなく中世と変わらぬ「まつりごと=芝居」

新型コロナウイルス禍において、日本の政府は最初から何も考えていなかったのだなと改めて思った。彼らはただ「都合の悪いものからは目を逸らす」「見ないものは存在しない」という欺瞞を自他にやり続けてきただけなのだろう。やはり、日本にあるのは政治ではなく、古代・中世のまつりごと=”おはなし”と芝居なのだ。 日本の行政の中枢にいるのは、日本の中でもとりわけ「自分を持たず、自分を殺して、立場・役割を生きる」ことに徹してきた人たちだ。自分を殺すという虐待を生き抜いてきた彼らは、「立場を生きる」というプログラムを再生しているだけなので、それ以外は自分で考えることもできない。前・現首相や東京都知事を見ればそれは明らかだろう。 しかし、行政の中枢にいる人たちが「都合の悪いものは見ない嘘つき」なのは、多くの日本人がそうだからだ。彼らは、わたしたちの影でしかない。わたしたち日本人の多くが、自分を持たずに立場を生き、都合の悪いものから目を逸らし続ける限り、このシステムは変わらない。 そして、どんなに目を逸らして「無いもの」にしても、たとえばウイルスという「現存するもの」が消えてなくなるわけではない。どれだけ…