姫路の野尻池に河童がいると教わる夢

今日見た夢の中で、わたしは空に浮かんでいるような近未来的空間で知らない女性とテーブルを挟んで話をしていた。彼女は「姫路の野尻池というところに河童がいる」と言った。わたしは少し驚いて「姫路はわたしの出身地です」と答えた。そして、空中に浮かぶように現れた地図の中で野尻池を探していた。 この夢を見て目が覚めてすぐ、そばで寝ていたさくらが眠りながら「ヴゥゥ~ワン!ヴゥゥゥ~ワン!ワン!」と少し唸りながら吠えた。どうやらシンクロしていたようだ。 以前にもかなりリアルな河童の夢を見て、「河童になる」という詩も書いた。久しぶりに河童に関する夢を見て目覚めたら、 わたしがFacebookに投稿したピンホール写真に「Nahualだ」というコメントが届いていた [https://www.hvezda369.cz/2021-07-29/] 。河童はわたしの影の精霊あるいはAlter Egoなのか。夢を通して河童またはVodníkに変身するならおもしろい。…

Nahual

この写真 [https://www.hvezda369.cz/a-dog-like-monster-april-2021/] をFacebookのピンホール写真グループに投稿したところ、"It's a Nahual." というコメントが届いた。 Nahual(ナワル)とは、メソアメリカ地域において伝承される超自然的存在で、”もうひとりの自我”である鳥獣や自然界の力に変身する能力を持つ人と、その人の分身として働く動物そのものの両方を指すらしい。伝承では、人を形成する表の魂とは別に、トナルという陰の精霊があり、神に近いシャーマンのような人々は睡眠中の夢などを媒介としてその力を使い、鳥獣に変身すると考えられていたそうだ。 コメントをくれた人とは、その後とても心地よいメッセージを交わした。彼が書いてくれた "My dear friend, the world is full of wonder." という言葉には胸が熱くなった。 最近わたしは「見えざるもの」を撮りたい、そして、超自然的存在を描きたいと思っていたところだった。Nahual(ナワル)はそのための素晴らしいインスピレーションだ…

萩原朔太郎のステレオ写真と、わたしがピンホール写真を撮る理由

萩原朔太郎がステレオ写真の愛好家であったことを初めて知った。彼は、10代の頃から写真を撮りはじめ、自らで現像や焼き付けもしていたそうだ。そして、友人たちから「玩具のようなもの」と笑われたというフランス製のステレオカメラを、「唯一無二の伴侶」と呼んで終生愛用していたのだという。 彼の長女である萩原葉子の著書『父・萩原朔太郎』の中にある晩年の朔太郎についての記述によると、 「まくら元にはたばこ、囲碁の切り抜き、立体写真、雑誌、睡眠薬、おにぎりなどが置いてあり」「いつものように」「腹ばいになって立体写真に見入っていた」らしい。 昭和14年にアサヒカメラに掲載されたエッセイ『僕の写真機』の中で、萩原朔太郎はこのように書いている。 「元来、僕が写真機を持つてゐるのは、記録写真のメモリィを作る為でもなく、また所謂芸術写真を写す為でもない。一言にして尽せば、僕はその器械の光学的な作用をかりて、自然の風物の中に反映されてる、自分の心の郷愁が写したいのだ。」 「かかる僕の郷愁を写すためには、ステレオの立体写真にまさるものがないのである。なぜならそのステレオ写真そのものが、本来パノラマの小模型で、…

祖母と買い物をする夢と、広大な赤土の荒野の夢

夢の中で、父方の祖母とともに商店街を歩いていた。わたしは露店で売られていた日傘のひとつを手に取り「色も柄もかわいいけれど、きっと使わないな」と思っていた。祖母はラメの入った黒いニットを試着していた。その時には祖母の姿ははっきり見えていたけれど、他の場面では祖母の姿は見えなかった。 別の場面または別の夢では、わたしは広大な赤土の荒野にいた。見渡す限りの荒野はまるで地球上の景色ではないようだった。そこには線路と小さな駅があり、電車が走っていた。電車から降りたのか、それとも別のところへ向かっていたのか覚えていないが、電車の脇を通り抜けて歩いた。…