まったく別の人生、犬生

ある人から「さくらは全く別の生を生き始めたから若いのではないか」と言われ、その通りだと思った。現在のさくらは、日本で母と共に暮らしていた頃とは、環境も、日々の活動や暮らし方も、食べ物も、受けているケアや医療も、全く異なる犬生を生きている。表情も行動も随分変わった(食欲は変わらない!)。 さくらと同じく、わたしもまた、つい数年前の自分とは全く異なる日々を生きているし、自分の状態も、視点も、感覚や思考も、言動も、以前とは全く違うと実感している。何度も書いたように、以前の自分は過去世のように感じられる。だから、さくらが全く別の生を生き始めたというのもよくわかる。…

Třebonsko

MajdalenaとLutováを繋ぐこのルートが大好きだ。 Třebonskoはチェコの他の土地とは異なる特別な波長が感じられるとても居心地のいいところ。…

さくら、よかった!

ステロイド剤と抗がん剤の断薬後初の血液検査とエコー検査の結果、さくらの腎機能はかなり良くなっていて、胃腸の状態も良好、すべての数値が良い状態だった!腎機能回復を目指して減薬→断薬したのだが、予想以上に早く回復したとのことで、担当医も「すばらしい!」と大喜びしてくれた。 また、断薬の効果だけでなく、栄養士の指導に基づいた食事内容の改善も功を奏したようで、体重も11㎏を切るぐらいにまで減り、散歩の足取りもますます軽く、毛艶もより良くなった。代替薬として7月から服用している免疫抑制剤の服用はまだ続くけれど、徐々に減薬して、最終的には断薬を目指していく。よ かった!よかった!本当に嬉しい! これからもいい状態でますます快適に楽しく過ごしていこうね。…

ミラクの夢

夢の中で歩きながらバイオリンのような弦楽器を奏でていた。周囲には似た楽器を手にした人たちが何人もいたが、どう鳴らせばいいか戸惑っている様子だった。わたしは好き勝手に楽器を振り回し、よく分からない方法で好きな楽曲を自由に奏でていた。とても楽しかったし、他の人たちも笑顔で楽しそうだった。 道を歩いていたはずが、いつの間にか水の中にいて、わたしは魚のようにすいすい泳いだ。やっぱりと楽しくて、周囲にいた人たちも楽しそうだった。 そこでぱっと目が覚めた。すると、視界の先に色を変えながら光る四角い枠のようなものが見えていた。その向こうには窓の外に夜空が見えていて、まるで宇宙空間へワープするゲートが開いたかのようだった。少し驚いて目を何度も閉じたり開いたりしているうちに、光のゲートは消えていった。 昨夜はまた眠りに就く前に「わたしがどこから来たのか、故郷の星を教えてほしい」と思っていた。そして、ミラク、トゥバンという2つの星の名が頭に浮かんだ後、すーっと眠りに落ちたのだった。…

自分とは自然と在るものではなく自ら意図して創るもの

何かに対する反応として生じる感情や思考は、ある種のプログラミングによる機械的反応のようなものであり、その多くは、たとえば親や教師や周囲の人々や社会など、自分ではないものを通して植え付けられたものだということを改めて考えていた。 「自分」あるいは「自分の感覚、感情」というものが当たり前のように在るように思いこんでいるけれど、実際にはそれが、自分ではないものによってプログラミングされた無自覚な機械的反応でしかないのだとしたら、では「自分」とはいったい何なのか?という問いが生じる。 「自分」とは、自ら意図して創り出していくしかないものではないか。何かに対する反応ではなく、何かとの境界線やそこに生じる摩擦や違和感でもない、何にも依らない「自分」というもの。それはやはり「意図」あるいは「意図を持つ」ということなのかもしれない。 そんなことを思っていたら、「ノストラダムスは『大半の人は運命に流される流木のようなものだ』『未来を選び、その方向に進んでいくことができるなら、流木のように生きる人ではなくなる』と言っていた」という話を思い出した。ノストラダムスが言うところの「流木」とは「ロボット」み…

これもまた何かが見ている夢

この"わたし"もまた何かが見ている夢の登場人物に過ぎず、"わたし"が見ていると思っている現実とやらも何かが見ている夢の中のストーリーなのではないかと思うことがある。そうして、無限の入れ子になったり、内と外がくるりくるりとひっくり返ったりする。…