語りすぎてはならない

もう何年も前のことだが、突如「語りすぎてはならない」と頭に浮かんだ後、しばらく頭から離れないことがあった。今でもその通りだと思う。語りすぎると、本当なら言葉にはなり得ないはずの本質を覆い隠してしまう。手っ取り早く言語化して片付けようとしてはならない。…

Sunset sky, November 2020

Sunset sky 6×6 Driftwood pinhole camera Kodak Ektar 100 カラーフィルムで撮影したピンホール写真を眺めながら、太陽は黄色や赤で描かなければならないなどということはないし、空が青でなければならないということもないのだという実は当たり前のようなことを改めて思う。 犬や猫は二色型色覚だというし、四種の錐体細胞を有する鳥類は紫外線を感知しているという。たとえ同じ種であっても色覚には微妙な個別差があってそれぞれに見えている色は異なるのだろう。鳥の色覚を通して見える世界を想像すると楽しい。…

水鳥の背に浮かんでいた模様

夢の中に出てきた水鳥の背に描かれていた模様が気になっている。民家の前を流れる用水路に丸いものが浮かんでいて、風船かと思ったら、見たこともない水鳥だった。顔と色はカワラバトに似ていたが、身体が真ん丸だった。濃灰色の背中に、何かの記号のようにも見える紫色の模様がくっきりと浮かんでいた。さらにその用水路には梟もいたが、よく見るとそれは茶色い犬だった。犬は嬉しそうに水に浸かっていた。 別の夢の中では、わたしは自転車で山口県西部あたりから兵庫県まで移動しようとしていた。計算では8時間ほどで移動できるようだった。途中通過した古い旅館のような場所には、わたしの他にも自転車でかなりの距離を移動している女性たちがいた。また、そこでは何か祭事が行われていたようで、男性たちが大きな特別な太鼓を慎重に運びながら階段を下っていた。このところ夢の中ではよく複数の女性たちが(またはわたしも彼女たちとともに)旅をしている。 さらに別の夢の中で、わたしは細い路地がくねくねと入り組む古い町並みを歩いていた。 複数の層が重なったような青空から天気雨が降ってきたが、なぜか濡れなかった。 宿泊先のホテルで髪を乾かそうとした…

犬を通して月を対象化する

松村潔氏は著書や雑記の中で月を犬にたとえている。そして、月から距離を持ち、対象化し、月を自分とは同一化しないためには、犬(や猫)を飼うのはいい方法だと書いていた。さくらとともに暮らす中で、確かにそうだと実感している。 先日読んだ『パラダイムシフト』という漫画の中に「心はインナーチャイルドですらない、心は犬や猫のように非論理的」という箇所があった。これも「月は犬」だと思えば納得だ。 わたしは毎朝さくらに起こされる。そしてすぐに朝の散歩、朝ごはん、午後の散歩、夕ご飯、夜の散歩。それらの合間に、遊び相手、ブラッシング、肉球や爪の手入れ、歯磨き、寝床やマットの掃除と洗濯、シャンプー等々、あれやこれやと、さくらの世話をしながら、同時に、ああ月なんだなと思っている。…

夢の中だけで会う懐かしい人たち

相変わらずわたしは夢の中で旅をしている。ここ数日は、乗り物に乗って移動している場面がよく記憶に残っている。バスだったり電車だったりと、乗り物はその時々で変わる。そして、わたはいつも懐かしい人とともにいる。夢の中ではわたしは彼らのことをよく知っているようだが、実際には見たこともない人たちばかりだ。…

女性ばかりの集団で旅をしている夢

このところ、女性ばかりの集団で旅をしている夢を何度も見ている。先日見た夢の中では、わたしは超高層ビルを高速エレベーターで下って地上に降り立ち、女性の集団が乗った大きなバスに乗ろうとしていた。しかし、忘れ物をしたことに気づき、バスはまだ出発しないようだったので、一人で取りに戻ることにした。…

加害者も被害者も救済者も自分

> 10歳くらいまで毎日のように叩かれて育ったんだけど(行儀が悪いなど)、そのせいなのか、子どもを叱りながら全く非合理的なことに「叩いてしまえば簡単なのに」「痛みを味わせて凝らしめてやれ」という身体の疼きを感じるんだよね。非常に深いところに埋め込まれたスイッチ。悲しいし、怖い。 — Yutaro (@yutaro_today) January 9, 2021 [https://twitter.com/yutaro_today/status/1347775868458856448?ref_src=twsrc%5Etfw] このツイートに書かれていることはよくわかる。わたしの場合、子どもはいないこともあり、それが他者へ向けられることはなかったが、この「非常に深いところに埋め込まれたスイッチ」が、自分自身に対する暴力として働いていた。思い(都合)通りにならない自分を殴って言い聞かせたい自分と、それを押しとどめる自分とに長らく分裂していた(実際にわたしは身体的にも精神的にも様々な形で自分に暴力をふるっていた)。 自分の中に根深い暴力・加害の連鎖があること、そして、それによって自分の中が分裂…