怪奇現象が起きる夢と、霊や神との交信を始める夢

今日見た夢の中で、わたしは知らない女性と二人で、知らない宿に宿泊していた。畳の部屋には小さな座卓が置かれていた。電気を消して寝ている間に、座卓の上の電話から「ピー」という電子音が聞こえた。その音で起きたわたしたちは、これは怪奇現象だねと話し、どうしたものだろうと相談しあった。部屋にはどことなくおどろおどろしい気配が漂っていたけれど、わたしはまったく怖くはなかった。わたしは「わたしたちは疲れていて休みたいから、睡眠の邪魔をしないでくれ!」と見えない何かに向かって大きな声で訴えた。その後シーンは切り替わり、わたしは大きな古い木造建築の中にいた。中は劇場になっていて、これから何か舞台が始まるようだった。そこでもやはり、いくつかの怪奇現象が起きた。わたしは、その原因を探ろうとして、建物の二階部分に古い廟のようなものが放置されているのを見つけた。厚手の紙で作られた古い証明書のようなものを誰かが持ってきた。そこには「祀られていた神の御霊は既に移転された」と書かれていた。しかし、わたしは、そこにはまだ何か残っていると感じた。「やれやれ、仕方ない、ひと仕事するか」と、霊だか神だかとの交信を始める決意を…

自覚的に”作品”を作り続けていくこと

自我の「おはなし=幻想」の都合に合わせて事実や自分(身体)を捻じ曲げるのではなく、自覚的に作品化してしまえばいい。形はなんでもいい。誰かに見せたり発表したりする必要もない。自覚的に形にするとそれは殻になり、気づけば自分はそこから抜け出している。そうやってどんどん小さな自分から脱皮して、自分を大きくしていく。幻想も、影も、どんどん吞み込んでいく。自己想起、自己超越とはそういうことだ。自分を探すのではなく、何者かになるのでもなく、一切の何でもないまま愉快な状態を自覚的に継続していくこと。…

無意識の影

今日、プラハで行われた政府の規制措置に反対するデモに参加した人たちは、(1989年のビロード革命勃発時と同じように)「Svobodu!=自由を!」と声をあげていたようだが、彼らは、自分たちが求める「自由」が他者の生命や生活を脅かすかもしれない可能性は無視している。”自分”にとって都合の悪いものを、無自覚ながらも意図的に無視して無いものとする(影を増やす)パターンは、世界中どこででも見受けられる。自分の影を否定し、拒絶し、排除して、都合のいい”自分”という「おはなし」に執着するパターンだ。 今年はとかく、わたしたちの集合意識に根深く染みついた”悪癖”を直視させられる機会が多い。個人レベルから世界規模まで、無意識の影がどんどん形として現れているようだ。…

Kavka obecná

ニシコクマルガラス(Jackdaw)のチェコ語名は「カフカ(Kavka obecná)」。このあたりでは毎日たくさんのニシコクマルガラスを目にする。特徴的な鳴き声も含めて好きな鳥の一種だ。…

チェコの風景

個人的な感覚だが、こういう家が建ち並ぶ風景を見るとチェコだなあと感じる。プラハに住んでいた頃にもŽižkovやKarlínなどで似た眺めを探し歩いた。…

自分のものなど何もない

「だから、形あるものはぜんぶ幻だって言ったじゃない。」 シャワーの最中にふと、頭の中で誰かがそう言った。まるで、幼い女の子のような口調だった。 肉体をもつ個体としてこの世界に存在している時間など、星からすれば一瞬にも満たない幻のようなものだ。やがては消失するこの肉体をはじめ、物質世界には「自分のもの(所有物)」などと呼べるものは何も無いと改めて思う。…

きれいな水が流れるところ

今朝目覚める直前に見ていた夢の中で、地図の中にCarl Zeissという名称を見つけた。そのすぐそばには「月の見える油田」という地名があり、さらにその近くには「仏陀」という文字があった。いずれも地図上では山の中で、わたしは「きっときれいな水が流れるところなのだろう」と思っていた。…

今日はなんとなく一時停止という感じの一日だった。ずっと雨が降ったりやんだりしていたし、しんとしたまま夜になった。雨の日にはあらゆる境界線があいまいになる。過去とか現在とかという時間が溶けてなくなり、ここにいながらあそこにいる感覚がより強まる。昔のことをふと思い出し、実はそれが今であり、また先のことであると気づく。時間が消えるとは、自分が消えることだ。 不意に「川を渡る」という言葉が再びやってきた。夢が現実を侵食する感触がようやく戻ってきたようだ。…