2020‐08‐20 母を看取った後の日本滞在日記

いよいよ実家にある母の持ち物の整理に取り組み始めた。クローゼットも、押し入れも、箪笥や引き出しの中も、あらゆる収納スペースにぎっしりとものが詰まっている。どこもきちんと整理されてはいるが、余剰スペースがほとんどない。 母は、商売をしていた頃(わたしに対する暴力が最も酷かった頃だ)、たびたびデパートに出向いては、高価な衣類を大量に購入していた。彼女は当時を振り返って「あの頃のわたしは買い物依存だった」と言っていたが、実際は晩年までずっとその状態だったのではないかと思う。 彼女は、家のあらゆる収納スペースを埋め尽くしたように、自らの時間も埋め尽くそうとしているように見えた。いつも依存的な人を引き寄せては、他者の世話を焼き、面倒を見ていた。その上、ゴルフ、登山、スポーツジム、麻雀、社交ダンスと、常に動き回っていて、静かに一人で過ごすことはなかった。 母が暮らしていた空間を整理しながら、そして、その生活/人生を振り返りながら、やはり彼女は自らの自己欺瞞と本当の感情から目を背け続けていたのだと思う。空間も時間も埋め尽くすことによって、彼女はずっと自らの強烈な欠乏感や虚無感から逃げ続け…

2020‐08‐19 母を看取った後の日本滞在日記

昨日は、一時帰国のたびに通っている歯科で定期検診を受けた。そして、昨年から持ち掛けられてはいたものの、ずっと躊躇していた左上の親知らずの抜歯を決行した。今回は、なぜかすんなりと決心がついた。わたしは、7歳の頃から同じ歯科医に世話になっている。もちろん、彼は母のこともよく知っている。その彼に、母が他界したことを話した。 わたしが「自宅で母を最期まで看取った三週間は寝る暇もないほど大変だったし、その後もずっと忙しくて、とにかく全身くたくたに疲れている。」と話したら、歯科医は「肉体的な疲労だけでなくストレスもあるだろう。『お疲れの出ませんように』などと言うその人こそ疲れさせる原因だよな。家族が死んだばかりの大変な状況にある人の元へ訪問したりするなよ、だ。」と言った。そして「その通り!」と笑いあった。 歯科ユニットの上で処置を待つ間、わたしは短い眠りに落ちた。いつ誰が突然訪ねて来るかわからない実家にいるよりも、ずっとリラックスしていた。それで改めて気づいたが、わたしはここ(実家)にいる間は常にどこか緊張状態にあり、きちんと休むことができない。もう一ヶ月以上、4時間以上連続して眠れていない。…

2020‐08‐19 母を看取った後の日本滞在日記

母のパートナーは、わたしに度々「(同じ建物内に棲んでいる)伯母・叔父の機嫌を損なわないよう、うまくやってくれ」と言う。彼は長年わたしの母と彼らとの間を取り持ってきたらしい。しかし、彼からそう言われるたびに、わたしは違和感を覚えている。 一方が常にもう片方の機嫌を損なわないよう扱い続けなければ関係が維持できないなら、そもそも双方の間に対等な関係など成立しないのではないか。たとえそれが家族・親族であっても、互いに別々の個として向き合うことができないなら、無理に一緒に暮らそうとはせず、離れるのがいい(しかし、彼らはそれができなかった)。 彼は「(伯父・伯母の)の機嫌を損ねたら、身体が不自由な自分には、母が残した犬の世話もできないし、家の権利等についても後々もめてしまう」と常に懸念している。しかし、そもそも相手の機嫌を取りながら関係を維持するのは、相手の存在をきちんとカウントしていないということだろう。 彼が、相手の存在をきちんとカウントしていないのは、彼自身が自分をカウントしていないからだ。彼は、相手との関係における自分の立場と都合しか見ていない。つまり、自分が不在なのだ。立場と…

2020‐08‐19 母を看取った後の日本滞在日記

どんな関係であれ、共依存状態に陥るのは「回収したい、取り戻したい」という強い思いに動かされているからではないか。回収したいのは金や物質的なものだけではない。幼少期に得られなかった愛情、叶わなかった期待、報われなかった投資、費やした労力と時間などが「思い」として、無自覚に深く刷り込まれた状態なのではないか。 日本にいると、おそらく幼少期に体験しただろう愛情の欠乏(自分の存在をただ受け止めてもらうことができなかったが故の強烈な欠乏感)が、その人が老人になってからもずっと機械的に動きつづけていると思われるケースをたくさん見かける。以前からわたしは、日本はアダルトチルドレン(連鎖)国家ではないかと思っている。…

2020‐08‐19 母を看取った後の日本滞在日記

わたしが、一旦日本を去るにあたって唯一気になっているのは、母が飼っていた柴犬「さくら」のことだ。母のパートナーと伯母が「さくらはここに残してほしい、伯父・伯母が世話をする」と決めた。そこで、わたしも彼らの決断を受け入れた。しかし、彼らの様子を見ていると、どうなるかはまだわからない。念のため、他の可能性と計画も用意しておくつもりだ。 自己が不在で、自分のことも他者のこともカウントできない人は、動物のことも「かわいがっている、世話をしている」つもりなだけで、本当にはその動物の存在もカウントしていない。自分を愛せない=自分の存在をカウントできない人は、他者や動物の存在もきちんと認めて愛することはできない。 動物を飼うことは、人間の子どもを育てるのと同じぐらいか、場合によってはそれ以上の労力も時間も(そしてお金も)必要とする。犬はモノではなく、感情を有する生きた存在だ。人間の都合によって動物の存在と命が翻弄されるような状況は、あまりに辛くて黙って眺めてはいられない。…

2020‐08‐18 母を看取った後の日本滞在日記

母が長年契約していた掃除用品の交換・集金スタッフがやってきた。彼女は、わたしの母について「とにかく社交的で、活発な人だった。かなり身体が辛そうでも、最後まで笑顔で声には張りがあった」と言っていた。母の周囲の人たちはみな同じように言う。彼女が”外”の社会に向けて作っていた姿だ。 母は以前、彼女に「長く生きていても辛いだけだから(先に死ぬだろう)私が頃合いを見て迎えに来てあげるわ」と言ったことがあったそうだ。それを聴いて、わたしは「生きるのが辛い、死にたいのは、自分で自分を痛めつけて殺している(いた)からですよ、〇〇(母の名)さん」と声に出さずに呟いた。…

2020‐08‐18 母を看取った後の日本滞在日記

母のパートナーが入院したので、家の中がとても静かだ。重病人で身体が不自由な彼は、あまり動くことができないため、一日中ソファに座ってテレビを観ている。だから、わたしもここにいる間はずっと、望んでいなくともテレビの音に囲まれ続けていた。今日は外から鳥の鳴き声が聞こえてくる。 昨夜はようやく静かな夜が訪れ、わたしは久々にぼんやりとネットサーフィンをして夜遅くまで過ごした。そして、シャワーも浴びずに布団に倒れ込んだ。約1ヶ月半の疲労が一気にやってきた。今もまだ全身が重くて怠い。他者からの電話や訪問を身体が拒絶している。自分が望んでもいない人の話を聞くのは本当に疲れる(肉体を傷めつける)と実感する。 母のパートナーの入院予定を伝えてあったからか、実父からまた電話がかかってきた。「時間はできたか、飯を食べに行こう。」という彼に「ようやく少し心身が休まる時間ができたところだ。わたしには休息が必要だし、片付けることがまだたくさんあるので、あなたとは食事には行かない。」と正直に答えた。 やることはまだまだあるけれど、わたしの肉体に無理のないよう、なるべく心地よいペースで取り組んでいく。…

2020‐08‐17 母を看取った後の日本滞在日記

わたしは、母の死後もしばらく日本の実家に滞在して、重病のために身体が不自由な母のパートナーと二人で過ごしている。掃除や洗濯などの一般的な家事と、彼の食事や生活のサポートをしながら、母の死後の様々な手続きや作業に取り組んでいる(さらに、合間には仕事もしている)だけで、文字通り一日が終わってしまう。かれこれひと月以上、ずっと睡眠が足りていないし、自分のための時間などなかった。 こういう生活を送ってみて思うのは、母は散々愚痴や文句を言いながらも、結局は、他者のために自分の時間を費やす生活を自ら選択し、長年それを続けてきたということだ。わたしが知る限り、彼女はその人生の大半を身近な人たち(さらに言えば、彼女と共依存関係にあった人たち)のために消費してきた。 彼女の選択に、正しいも間違いもない。彼女がそう選んだというだけのことだ。ただ、わたしがはっきりとわかったのは、彼女もまた、立場/役割を生きることが「全うに生きること」だと思っていたのだろうということだ。彼女のような生活/生き方の中で、自己を想起し、自分を作り、自らを生きることなど不可能だろう。…