ノストラダムスの言う「流木」のような状態から脱するには
2019年10月3日 自由意志だとか、好きでやっていると”思って”やっていることの大半は、たまたま身を置いた物理的環境の範疇からはみ出すことなく居場所をキープするための都合のいい思いこみでしかない。外側にある環境と関係に甘んじ、外からやってくるものに機械的に(自分で”自分”だと思っているそれもまた大半が無自覚な機械性でしかない)反応しているだけでは、ノストラダムスの言う「流木のように生きる」在り方からは抜け出せない。 では、どうすれば「流木のような状態」を脱せるかといえば、意図を持って創造する=意志を内から外へ放つことだろう。既存の価値基準や、他者との交換といった外部との関係には一切依らない創造を自覚的に行うこと。それはつまり純粋な創造、創造のための創造と言えるかもしれない。一切の期待から自由な意志的創造。 今朝またこのことが腑に落ちた。「地球上のほとんどの人は自分の未来を作ることができず流木のように生きている」というノストラダムスの言葉をふたたび思い出してのことだった。 自覚的・意識的に「作家」として創造・創作していれば、物理的な条件と制限の中に留まり、他者との関係に依存しな…