友人たちに助けられる旅

今日は、チェコ雑貨店を営む中高校の同級生(思いもよらぬ偶然によって2年前に約25年振りに再会した)が車で迎えにきて、駅まで送ってくれた。東京では、別の友人が改札口で待ってくれていた。 今回の日本滞在中は、友人たちにたくさん助けてもらっている。今回は天気にも恵まれている。富山~能登の旅では、わたしが外にいる間はずっと晴れていたが、最後に車に乗った途端どしゃ降りになった。東京でも姫路でも、結局傘は使わずに済んだし、友人たちからは「天気を操る人」と呼ばれた。このまま最終日まですべてよいタイミングで過ごせそうな気がしている。…

Japan, a fantasy world

日本の街中に佇んでいるとふとゲームの世界あるいはアニメーションの世界に入り込んでしまったような感覚に陥ることがある。建物も人々もすべてが映像のように見え、まるで別次元に迷いこんだかのように感じられる。…

友人との再会で

10年以上前からわたしが自分で自分を解放してきた過程をずっと見ていた友人と会った。 自分に退屈し、行きづまり、野垂れ死にを覚悟してすべてを放棄し、自我を破壊して再構築してきたプロセスは、今になってみれば苦しみでも何でもなくおもしろい経過だった。 友人から「この人は死んでしまうのではないかと感じることもあった」と聞いて、自分がそんな風に見えていたことを初めて知った。そして「あなたは逞しい(逞しくなった)」と言われた。 わたしがそれまで無意識に信じこんでいた自分という物語を徹底的に破壊し再構築するのにふさわしい環境に運ばれたのは、運がよかったからだけでなく、わたしが常に余白を残し、そこに流れ込んでくる違和や未知に対して自分を開いていたからだと思う。 物質的存在は環境から大いに影響を受けている。どれだけ強い信念を持っていても、身を置く場所や社会からの影響を完全に無くすことはできない。むしろ、信念が強ければ強いほど、抗い闘わねばならない機会は増す。そう思うと、わたしは野垂れ死にを決意した時点で闘うことをやめたのかもしれない。 闘うことをやめ、社会的に生き延びることをあきらめて、自分を…