世界を作る、扉を作る
どんな手法であれ、何かを作ることはそのまま世界を作ることだと日毎に実感している。それは、そこに独自の世界を生み出すことであり、異なる次元への扉を作り出すことであり、そしてまた、全体の中に新たな記憶をインプットすることでもある。個による創作は宇宙の書き換えに繋がっている。 ただし、そのためには自覚的に作る必要がある。何を意図をして作るのか、どのような意図によって作らされているのか。それは作ることによってしか見えてこないかもしれないけれど。…
どんな手法であれ、何かを作ることはそのまま世界を作ることだと日毎に実感している。それは、そこに独自の世界を生み出すことであり、異なる次元への扉を作り出すことであり、そしてまた、全体の中に新たな記憶をインプットすることでもある。個による創作は宇宙の書き換えに繋がっている。 ただし、そのためには自覚的に作る必要がある。何を意図をして作るのか、どのような意図によって作らされているのか。それは作ることによってしか見えてこないかもしれないけれど。…
最近、睡眠中に何かに右足を攻撃されているような、あるいは引っ張られているような体感を味わうことがある。右足がつって痛みで目を覚ますこともあるので、疲労や冷えなど思い当たる理由はいくつもある。しかし、今朝はふとテスカポリトカの名が頭に浮かんだ。最近入手した黒曜石の鏡のことだ。 アステカの創世神話の中でテスカトリポカは大地の怪物と戦って右足を失う。だから、テスカトリポカは絵の中では右足が黒耀石の鏡あるいは蛇に置き換わった姿で描かれる。 ”大熊座の神であり,夜空の神であり,アステカ民族の神殿に祀られた主要な神の一つである。眼には見えず,夜,ねこの姿をかりて徘徊する。また火の発明者,太陽神,強酒の発見者などともいわれ,人間のいけにえを求めたともいわれる。”(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より) テスカトリポカが片足なのは、地に両足はつけないということだろう。地にべったりとくっついて物質世界や人間社会のあれこれに同化していては、陰陽の外へ、ひいては多次元へと自在に移動することなど不可能だからだ。地につけるのは左足のみ、右足は常に浮いている。あちらとこちらを行き来するために、地には定…
The Sun, September 2021 6×4.5 Driftwood Pinhole Camera Fomapan 100…
夢の中で知らない旅先にいた。日没後の街を歩いて駐車場へ向かった。わたしは既にそこを何度も訪れており、車も持っていた。2台並んだ車に荷物を詰めている人たちがいて、そのひとつを自分の車だと勘違いして近づいたわたしを、駐車場の管理人が制止した。よく見ればわたしの車は左側に停まっていた。 駐車場にはたくさんの写真が飾られていて、わたしは頭上に並んだそれらを見上げながら「ああ、あの時の写真だね」と話した。すると、たくさんの女性たちがわたしの周囲に集まってきて、管理人たちはその様子を写真に撮り始めた。女性たちはみな笑顔でとても嬉しそうだった。…
唐突に思い立って購入したKOH-I-NOORのソフトパステルセットを開封し、人生初のパステル画を描いてみた。子どもの頃に通った絵画教室でパステルを使ったことがあるような気がしていたが、いざ手に取ってみると、あらゆる感覚が初めて味わうものだった。 描いたのは、南ボヘミア、Lutováの風景。自分で撮った写真の中からなるべくシンプルな構図のものを選び、それを見ながら描いた。じっと見て、下絵を描き、見て、色を選び、見て、描いて、見て、選んで、見て、描いて、描いて、見て。45~50分あたりでふっと終わりがやってきて手を止めた。あんなにも集中したのは久しぶりだ。描き終えた後は深い充足感と心地よい疲労感に満たされた。 描きたいものがあるので、これから日々練習していく。…
Late Autumn Waterscape, November 2021 6×6 Driftwood Pinhole Camera Fuji Pro 400H (expired)…
夢の中で、山に向かっていた。何かしらの乗り物を運転して高速でカーブを曲がりきった後、角を右に曲がった時にはわたしは歩いていた。道の脇ではベルトコンベアのようなもので食材が山の上へと運ばれていた。角を曲がる前に見たのは大量のキャベツだったが、角を曲がるとバナナに入れ替わっていた。 前方には薄茶色からベージュそして白のグラデーションを描く高い山が聳え立っていた。山肌はマーブル模様のようだったかもしれない。空の色も淡く、風景全体がまるで絵画のように美しかった。 次の場面ではわたしは山の上にいた。そこには学校のような研究所のような巨大な施設があり、たくさんの人々が働いていた。わたしはそこで授業か何かに参加するようだった。手首の腕時計を見ると針が止まっており、スマホも見当たらないので、時間が分からなかったが、特に困らないなと思っていた。 いくつかある建物のひとつは巨大な食堂と売店になっていて、わたしはそこで朝食を買うことにした。売店でジュースを選んでいると、知らない女性がにこにこしながら近づいてきて、「誰もがあなたのことを知っている、あなたは着物を最も美しく着こなす人として知られていますよ…
ある人とのやり取りの中に「自分の考えや感覚を適切な言葉に変換するプロセスに時間がかかる」とあったので、言語化にも訓練が必要なのだと答えた。訓練とは、自分の感覚や感情にふさわしい言葉を探して選ぶだけでなく、自分の中の言葉のストックを増やすことも含まれている。アウトプットのためには、インプットが不可欠だ。 たとえば、もし「悲しい」という言葉を知らなければ、自分の中に痛いような辛いような苦しいような感覚が生じた時に、一体どのように表現すればいいだろうかと想像してみる。言語を習得していない乳幼児などはまさにその状態を体験しているのではないか。 そう考えると、わたしたちは言葉を習得することによって、自らの感覚や感情を認識するようになるとも言える。「悲しい」という言葉を知り、その言葉に対する共通認識を自分の感覚や感情にあてはめることによって、「わたしは今、悲しいのだ」と気づくことができる。 しかし、それは同時に、わたしたちは言葉にとらわれやすいということでもある。実際にはもしかすると他にもっとふさわしい言葉が見つかるかもしれない感覚を、「わたしは悲しい」と言葉にすることによって、「悲しい」と…