感情と身体

怒りそのものが体に影響を与えてさまざまな症状として現れるというよりも、怒りが生じているのにそれに気づかないこと/無視することが体に影響するのではないかと、過去を振り返ってふと思った。そもそも怒りは、悲しみや不安などさらに奥の層にある感情の蓋であり、その抑圧が怒りになっているわけだが。 本当は怒っているのに、怒っていないふりをしていると、身体はそれを別の形で表現しようとする。怒っている自分を認めると、その奥に封じられていた感情が流れ出してくる。抑えられていた感情が解放されると、身体もゆるんで変化していく。…

無理強いはせず、やりたいことはすべてやる

新型ウイルスが世の中に登場してからわたしの潔癖症は悪化した。恐怖心からストレスが増し、強迫行為が増えて、体調も大きく揺らいだ。2年弱の時を経て、自分なりにどのようにウイルスと共存していくかを決めてから、恐怖心は和らぎ、ストレスが減った。最近は強迫行為もおさまり、わたしなりに快適に過ごしている。 この頃は、毎日絵を描くことが、わたしの精神にも肉体にも大きく影響していると感じている。ますます快適になっている実感がある。時には6~7時間も没頭してしまうけれど、寝て起きると元気になっている。 絵に没頭しすぎてしばらく写真を撮りに出かけていないけれど、それはそれでいい。あれもこれもを求めるのは、身体へのそして自分への脅迫なので、今は思う存分絵に没頭する。そのうち自分のリズムができてくれば、また写真も撮りに行けるだろう。身体にも自分にも無理強いはせずに、やりたいことはすべてやるのだ。…

パステル画8枚目

8枚目は、夕暮れ時の本栖湖を描いた。雲の形や様子にも、影になっている山や島や薮にも、山の背後から射し込む光にも、とにかく苦戦した。最後までまったく思いどおりにはならなかったけれど、終わりが来たので手を止めた。これも一練習である。 絵を描く準備と、描き終えた後の掃除に時間がかかるので、ちょっと手間だなと感じるけれど、描いている間はひたすら没頭していてあっという間に何時間も過ぎている。他に何もしなくていい状況だったら、延々と描いて練習し続けていられそうだ。 これまで描いた絵はどれも自分ではまったく思うように描けていないのだけれど、多くの友人知人たちから褒められたり、喜ばれたりして、驚いている。これは本当に予想していなかった展開。愉しいし、嬉しいし、どんどん練習していこう。…

朝霧高原で出逢った人と

前回木星が魚座を運行していた頃、わたしはたまたま訪れた本栖湖と朝霧高原、浅間大社がすっかり気に入り、それからは年に何度もあの辺りを訪ねていた。特に本栖湖の水の色と気配が大好きだった。 あの頃朝霧高原で出逢った人と、半年ほど前からメッセージのやり取りが再開して、最近もよく話をしている。造形作家であり、アートの指導もしているその人に、先週からわたしが描いた絵を見てもらっている。彼は、わたしが絵を描くこと、そして写真や言葉をとおして何をやりたいのか、どこへ向かいたいのかを理解しているので、絵を見せて話すのが楽しいし、アドバイスも的確で、愉快だ。 そういえば、南ボヘミアの雰囲気は、朝霧高原周辺のそれにどことなく似ている。あそことここは、どこかで繋がっているのかもしれない。または相似形、型が同じなのかも。…

より上位の個性を目指すなら

「手癖で弾く」とか「手癖で書く/描く」という言葉があるように、見ること聞くことにも無自覚に繰り返してしまう癖というのがある。考え方の癖や、感情の癖も同じだ。上位の意識を通すためには、この癖を自覚して取り除く必要がある。 個性にも層があり、より上位の個性を発揮したければ、機械的な癖やローカル性を自覚化して取り除く/脱する必要があるということだ。…