写実的アプローチについて考え続ける中で確認したのは、私は目に見えたそのままを再現したいわけではないということだ。見えたものを見えたままにすべて描こうとすると、細部に囚われやすく、絵は説明に終わりがちだ(私の技術と経験が足りないからという点はともかくとしての話)。
では、何を描きたいのかといえば、それはやはり目には見えないものだろう。目には見えないもの ─ 気配、感覚、記憶、感情、時間といったものは形を持たないので、実際には「描く」ことはできない。それは、形あるものを通して浮かび上がらせ、想起させなければならない。つまり、ある種の錯覚を呼び起こす必要がある。目には見えないものを呼び起こすために、目に見えたものを描くわけだ。
ここしばらく、自分が描いた絵に抱いた違和感について考えつづけ、同じ風景を何度か描き直してみた中で、「何を作り出したいのか?」という根本的な意図を明確にし、忘れずにいることが重要なのだと改めて認識した。
とはいえ、「見る」ことがまず第一に重要であることに変わりはない。描くことは見ることであり、それは、見たいようにしか見ていない自分に気づき、自らの歪んだ狭い視野を壊して、ただただ見る状態へと至ることだ。目には見えないものを描き出すために、ただひたすらに「見る」必要がある。まるで禅問答のようだと思う。
自分の技術と経験がまだまだ不足している点はさておき、「私は何がしたいのか?」という根本的な問への現時点での答え=意図が見えたのはよかった。この答えはやがて変化するかもしれないし、写実的であるかどうかにこだわるつもりもない。自らを壊しては超えていく繰り返しに終わりはなく、見て、描いていくしかない。