見えないところで

ある人が送ってくれた写真を元に海の絵を描いている。彼女とは、わたしが絵を描き始める前からInstagramで互いにフォローしあっている。 顔を合わせたこともない遠いところにいる人たちが、わたしが描いた絵に嬉しい賞賛の言葉を送ってくれたり、さらには美しい海の写真や動画を送ってくれたりもする。そしてわたしは、そうした距離も言語の違いも超える交流にいつも励まされている。…

描くことは見ること

見えていなかったもの(参考写真でもはっきりとは見えていない)が見えるようになり、隠れた部分の構造を明らかに見誤っていたことに気づいたので、半部以上描き進んでいた絵を大幅に描き直している。別紙のスケッチからやり直したのはよかった。 小さな違和感を残したまま無理に終わらせても、それはただの嘘になる。 また、違和感を無理に丸め込んで纏めようとすると、結局は全体が壊れてしまう。 違和感は、自分が何かを見誤ったり、見落としたりしていることを示すサインだ。 描くたびに、見えなかったものが見えてくる。 そうして、自分がいかに“見ていなかった”かに気づく。 それはまた、自分の見誤りや見落とし、さらには、それらを引き起こしている自らの無自覚な思い込みに気づくことでもある。 そうした“自分”の枠が壊れて初めて、わたしは本当に見ることができる。 "Everyone has many associations with a flower — the idea of flowers. You put out your hand to touch the flower — lean…