自分とは何か

自分で自分だと思う「自分」など水面に反射する一瞬のきらめきのようなもの。 ある日ふとそう思ったのを今でも時々思い出す。 消しゴムでこすってみようアイデンティティとかいうそのまぼろしの枠…

思い通りを目指すより、思いを超えたものに出逢う方が楽しい

ピンホール写真を撮るようになってからは特に、いったい何が「失敗」なのかわからないと感じるようになった。「思っていたのとは違う」ということはあっても、「やり損ない」はない。むしろ、計測ミスや手順の間違いが、びっくりするような結果になったりもするからおもしろい。 思い通りのものを作れる/近づくまで繰り返し追究し続ける信念もすごいとは思うのだが、「思い」を超える発見と驚きの方がわたしには楽しい。それが果たして”作品”なのかどうかとは別に、自分で作って自分で驚き続けられたらそれだけで満足だ。つまり、自分の喜びのためにやっているのだとまた確認した。…

仕事を辞めて遠くへ移動する夢と、大量の古い書物がある古い建物の夢

夢の中で、わたしは日本の組織で働いており、約2週間後にそこを辞めることになっていた。他にも近々辞める人がいるようで、彼らに贈る餞別品の費用を募る手紙が回ってきたが、その文章には主旨から外れた内容が過剰に書かれていて冗長すぎて読めなかった。わたし自身は誰にも知らせずに辞めるつもりだった。 わたしは、一年ほど前にその土地へ戻ってきたものの、組織を辞めて、またどこか離れた場所へ引っ越すようだった。幼なじみと彼女の母親、そしてわたしの母(彼女だけ姿は見えなかった)とともに歩きながら、わたしたちは近いうちに送別会をしようと話していた。幼なじみは勤務先を休める日を探していた。 別の夢または別の場面では、わたしは車を運転しながら駐車場を探していた。まるで知らない場所だったが、わたしは”以前にも駐車したことがある”駐車場に車を停めた。その前には古い木造の長屋のような建物があり、中は大量の古書で溢れていて、古い書物と古い建物の黴臭いような匂いが漂っていた。 わたしは、積み重なった古書の隙間に、自分が持っていた一冊の本を忍び込ませた。誰もいないと思っていたその建物の入口には小さな部屋があり、そこには…

取り組むべきは常に自分自身

気づくには、そして超えていくには、みなそれぞれ自ら飽きるまでやるしかないし、求められてもいないのに介入するとむしろ阻害するだけなので、不要に関わらず、今だけで判断せず、黙って眺めているのがよい。信頼、そして祈りとはそういうことだろう。 他者に何かを言いたくなったり、他者に影響を与えたくなったり、他者を変えたくなったりするのは、自分事にきちんと取り組んでいない時だ。…