腸内細菌叢と宇宙
腸内細菌叢のバランスの変化が、感覚の違いを生み、感情を変え、思考を変え、行動を変え、排泄=表現を変える。個々の違いとは、腸内細菌叢の多様性のこともあり、それはまたそれぞれの宇宙でもある。…
腸内細菌叢のバランスの変化が、感覚の違いを生み、感情を変え、思考を変え、行動を変え、排泄=表現を変える。個々の違いとは、腸内細菌叢の多様性のこともあり、それはまたそれぞれの宇宙でもある。…
自分のことが、透明な筒状の管のように感じられることがある。もしかしたら、それが本体なのかもしれない。またはエーテル体としての形状か。龍もミシャクジも筒状の管だ。 この身体も、取り入れ、反応・消化・吸収し、排泄する筒(管)である。やってくるものが流れこみ、流れはひととき響きとなって、やがて排出されていく。筒の状態が響きを変える。体内の状態や腸内環境を整えるのは、この筒を調整することだ。 腸内環境を意識的に整えて排泄をデザインすることと、響く筒としての自分を整えてやがて肉体を去る(排出される)際の道筋を作ることは、ミクロとマクロで共鳴する。 すべて通過点だということ。身体は流れ込んでは排出されていくものの通路であり、地上における形もまたやってきては去っていくものの通路だ。人生そのものも通路であり通過点。体内環境・腸内環境に意識的であることは、やがてこの地上の形から去っていく時の道筋にも影響するのだろう。…
ある人とのやり取りの中で「排泄をデザインする」ことが話題にのぼった。そして、いつしか自分がいかに心地よく排泄するかを先に意識して、どう食べるかを考えるようになってきたことに気づく。心地よく排泄するには、腸内環境 を意識的に整えてバランスする必要がある。腸が快適だと、肉体的にも精神的にも快適でいられる。 20201108 排泄の話 人間の三分節とは、思考、感情、身体の三つの関係を言います。ヨガの言葉だと、馬車、馬、御者です。で、この三つのレベルで、それにふさわしい新陳代謝があります。つまり三角形の図のように、位置決めとしての中心軸、その下に陰陽の分岐がある。思考においては、何か印象を受け取り、それに対して... 松村潔 [https://from20180211.blogspot.com/2020/11/20201108.html] 「腸の中の光景は、地球の反映。つまり地球をマクロコスモス化したものです。腸と脳は鏡のように互いを映し合うもので、これも中国の陰陽魚の図と対応しているので、何か言うというのは何か排泄するというのと同じなんです。」…
The Lake Jordán, July 2021 6×6 Driftwood Pinhole Camera Fomapan 100…
Mallards on the Water, June 2021 6×6 Driftwood Pinhole Camera Fomapan 100…
2015年9月14日、わたしはこんなことを書いていたらしい。 記録としてここに残すことにする。 *********************************************************** 6月頃から仕事を休んで引きこもる日が増えた。社会に、つまり外側に適応しようとして重ねてきた無自覚な無理が続けられなくなり、以前と同じようには行動できなくなった。 麻痺させていた感覚が蘇り、苦痛を苦痛と感じられるようになったら、いかに自分を蔑ろにしてきたかを思い知らされた。日常の些細な妥協と抑圧の積み重ねが、いかに自分を殺し続けるかを痛感した。 振り返ってみると、わたしは社会的な居場所を求めるあまり、気づかぬうちに「何かを目指す」生き方をしていた。そうして、たくさんの「~でなければならない」という思いこみに囚われ、焦り続けていた。それは結局のところ、現在の自分自身への否定でしかなかった。そして、何にもなれないまま、何かに追われるばかりだった。 自分がそんな苦しいパターンに陥っていることに気づかぬほど、「自分のものではない価値観」に乗っ取られていたとも言える。「外側(…
> 救助者、攻撃者、被害者は、ぜんぶ同じ人 — 早川有 (@catVanille) September 13, 2021 [https://twitter.com/catVanille/status/1437528671565328384?ref_src=twsrc%5Etfw] 自分の経験を振り返ってもこれは実に真実だ。人はともするとすぐ、このいずれかの立場に同一化する。最近も、家族の一人を悪者に仕立て上げることで、被害者という立場を生きて自己正当化するケースを見聞きし、同じことを思っていた。 被害者も加害者も救済者もすべては自分であり、自分の都合を通して見ている幻想でしかない。このパターンから脱するには、どの立場も辞めることだ。 自分が立場に同一化していることに気づき、特定の立場を生きることを辞めるのは、あらゆる立場を超える自分を発見することであり、自分自身を創ること、自分を生きることでもある。…
たくさん夢を見た。 わたしはどの夢でも旅をしていて、いろんな場所でいろんな人に会っていた。 ある夢では、わたしは友人が運転する車で彼の家か仕事場に向かっていた。右側通行なのに途中でなぜか対向車のレーンが間に混ざる箇所があり「どうなってるの、これ?」などと話していた。複数の車線がある大きな道路で、登りの坂道にある交差点だった。 別の夢では、わたしは大きなホテルのロビーのような場所にいた。どうやらわたしは仕事でそこに滞在しているようだった。もう何年も連絡もとっていない昔の友人がいて、久しぶりだねという感じで話をしていた。彼女は以前よりも悩みがなく元気そうに見えた。同じ夢だったと思うが、母と彼女のパートナーとも話した気がする。わたしは自分の仕事について話し、「そのうちどこかで目にするはずだよ」と会社名も伝えていたように思う。母は「へぇぇ」と少し驚いている様子だった。 また別の夢では、わたしは大きなふかふかのベッドの中で休んでいた。知らない場所だったが、わたしとVはそこで暮らしているようだった。Vのクライアントが訪ねてきてベッドの横を通るので、わたしは天蓋のカーテンを閉めた。天蓋にはわた…