求めるものではなく、自ずと生じるもの

うったえよう、わからせようとするほど、言葉は粘度が増して力を失う。音楽だってそうだ。自我の思い入れは、響きを阻害する。 言葉でも、音でも、何であっても、理解や共感を求めると重たくなる。理解も、共感も、強いられるものではなく、受け手の中で(または形としてあらわされたものと受け手との間で)自ずと生じるものだ。…

情緒の押しつけは邪魔でしかない

思わず嬉しくなるような動物たちの交流を捉えた映像に、情緒を煽る音楽がBGMとして加えられていたことについて、友人が「良い動画なのに、人間がつけた情緒を押しつけてくる音楽が邪魔」とツイートしていたのを読んで、過去の経験を思い出した。 何年も前のことだが、写真家・川田喜久治さんの作品をスライドで鑑賞するイベントで、主催者が突然、数十年ぶりに再会したという友人を紹介し、彼が作った楽曲を背景音楽として流した。そのことについて「静謐な中で写真だけをじっくり味わいたかった」とツイートしたところ、主催者に「わかったつもりになっているアートかぶれの女が…」と書かれた挙句にブロックされたのだった。 作品であれ、動画であれ、それを公開する側の思い入れや情緒を押しつけられることほど邪魔なものはない。それだけで完全なものに過剰な演出は要らない。むしろ、こちらがそれと静かに向き合い、存分に味わうことの邪魔をしないでほしい。…