「確実に壊れる」と男は言った

風の音で目が覚めた。ストームが通り過ぎていったようだ。煙突に吹き込む風が建物中に響いていた。夜明け前というのに近くで工事でもしているのかと思うほど大きな音だった。 昨日は心身の調子がしっくりこなかったので、何も食べずに13時頃ベッドで横になった。そして、そのまま今朝5時まで眠り続けた。あまりにたくさんの夢を見たので、まだ意識がぼんやりしている。まるで数日ほど夢の中の世界を生きていたようだ。 たくさん見た夢の中で最も印象に残っているのは、すぐそばにいた男が笑顔で「確実に壊れる」と言った場面だ。複数の人種が混ざったような顔と逞しい躰を持つ背の高い男で、とても良い香りを纏っていた。…

出雲、エジプト、トゥバン、シリウス、龍蛇、鯨

昨日は18時に寝て、今日は2時に起きた。いくつも夢を見て、わたしはまた夢の中で何かを食べていた。ある夢の中で、わたしは複数の知らない人たちとともに飲食店にいた。注文を聞きに来たスタッフがメニューを持ち去ろうとしたのを止めて、手にしたメニューの右上に書かれていた「出雲そば」を注文していた。最近は夢の中で麵類を食べていることが多い。 出雲はこれまでに三度訪れた。日本の中でも特別に好きな土地のひとつだ。元出雲族も龍蛇族だと言われていて、エジプトに繋がっている。スサノオとオシリス、いずれも星信仰だ。恒星トゥバンのことが気になりはじめてから何かと龍蛇づいている。さらに鯨がそれについて回る。 先日書いた龍涎香の話 [https://www.hvezda369.cz/2021-03-07/] だってそうだ。鯨の体内から吐き出される龍の涎。そもそも、わたしは随分前から龍づいている。16年前の夏に夢の中で「貴船」と言われて龍神を祀る貴船神社を訪ね、同じ年に出雲大社の神在祭に参列したことを思い出す。これはわたしのごく個人的な神話でありながら、悠久の物語でもある。…

鯨の体内で作られる龍の涎の香り

ある知人との間で思いがけず龍涎香の名が話題にのぼった。久しぶりに目にする名称に懐かしさを覚えながら、龍涎香に関する記事を検索していたところ、過去に少しだけ調香を教わったことがある調香師のブログにたどり着いた。初めて彼女のアトリエを訪ねた日のことを思い出す。 龍涎香はマッコウクジラ(抹香鯨)の腸内で形成される結石で、希少価値の高い香水の原材料として知られる。クジラが食べたイカの嘴など消化されない部位が粘性の分泌物で包まれて体外に排出され、その排出物が海中で固化したものだと言われている。先日、タイの海岸で散歩中の人が龍涎香らしき塊を発見したというニュースを目にしたばかりだ。 「龍涎香=龍のよだれ」という名前がいい。鯨の体内で作られる龍の涎だ。英語ではアンバーグリス(ambergris=灰色の琥珀)と呼ばれている。龍涎香は『千夜一夜物語』の中にも登場する。人間の足ではとても登ることができない山の奥地に、龍涎香が天然のまま湧き出す泉があると語られている。 龍涎香のことを思っているうちに良い香りを嗅ぎたくなり、手元にある数少ない天然香料の瓶を久しぶりに開けた。ラブダナム、オークモス、シスト…

夢で訪れる懐かしい場所

月のめぐりに伴う体調低下のため、ここ数日はひたすら眠って夢を見ていた。どの夢の中でもわたしは、まったく知らないのに懐かしい場所にいた。思い出すだけで胸がじわりと温かくなるほど親しみを覚える場所だった。目が覚めた後もあの場所に還りたくて仕方なく、この世に適応するのに時間がかかった。 ある夢では、わたしは大きなターミナル駅のそばにある高い山の上にいた。山は深々と緑に覆われ、崖から溢れ落ちた水が川になって滔々と流れていた。遠くに見える超高層ビルから未来型戦闘機のような飛行物体が垂直に落下したかと思うと、急角度で上昇して猛スピード飛び去って行った。 また別の夢では、わたしは古い木造建築の一室にいた。さくらも一緒で、その夜はそこに宿泊するようだった。窓際の天井に小さな蛾が一匹止まっていたので、手に持っていた書類か何かで追いやって窓から外へ逃がした。窓の外枠には他にももう1匹小さな蛾がじっと止まっていた。…

マルグリット・デュラス

3月3日はマルグリット・デュラスの命日だったようだ。20年以上気になっていたのに抵抗があって読めなかった『愛人/ラマン』を唐突に購入し、あっという間に読み終えた。無意識にわかってはいたけれど、そこには自分のことが書かれていた。だから長い間手をつけることができなかったのだ。 わたしは映画『愛人/ラマン』を観ていない。デュラス本人は映画が気に入らなかったそうだ(その後、彼女は『北の愛人』を書いている)。小説『愛人/ラマン』には、母親と兄の描写が思いのほか多かった。そして、デュラスもまた機能不全家族の中で生き延びた人だったことを知った。 小説を読むのは実に久しぶりだった。作者の創作を通して共振する深い記憶の感触をなぞり、物語を読みながら自分を発見していくという作業は、肉体からすんなり離脱できるだけの心身状態を要する。読書には時がある。そして、読むべき作品とは読むべき時に出逢える(再会できる)ようになっている。…