無意識の影

今日、プラハで行われた政府の規制措置に反対するデモに参加した人たちは、(1989年のビロード革命勃発時と同じように)「Svobodu!=自由を!」と声をあげていたようだが、彼らは、自分たちが求める「自由」が他者の生命や生活を脅かすかもしれない可能性は無視している。”自分”にとって都合の悪いものを、無自覚ながらも意図的に無視して無いものとする(影を増やす)パターンは、世界中どこででも見受けられる。自分の影を否定し、拒絶し、排除して、都合のいい”自分”という「おはなし」に執着するパターンだ。 今年はとかく、わたしたちの集合意識に根深く染みついた”悪癖”を直視させられる機会が多い。個人レベルから世界規模まで、無意識の影がどんどん形として現れているようだ。…

Kavka obecná

ニシコクマルガラス(Jackdaw)のチェコ語名は「カフカ(Kavka obecná)」。このあたりでは毎日たくさんのニシコクマルガラスを目にする。特徴的な鳴き声も含めて好きな鳥の一種だ。…

チェコの風景

個人的な感覚だが、こういう家が建ち並ぶ風景を見るとチェコだなあと感じる。プラハに住んでいた頃にもŽižkovやKarlínなどで似た眺めを探し歩いた。…

自分のものなど何もない

「だから、形あるものはぜんぶ幻だって言ったじゃない。」 シャワーの最中にふと、頭の中で誰かがそう言った。まるで、幼い女の子のような口調だった。 肉体をもつ個体としてこの世界に存在している時間など、星からすれば一瞬にも満たない幻のようなものだ。やがては消失するこの肉体をはじめ、物質世界には「自分のもの(所有物)」などと呼べるものは何も無いと改めて思う。…

きれいな水が流れるところ

今朝目覚める直前に見ていた夢の中で、地図の中にCarl Zeissという名称を見つけた。そのすぐそばには「月の見える油田」という地名があり、さらにその近くには「仏陀」という文字があった。いずれも地図上では山の中で、わたしは「きっときれいな水が流れるところなのだろう」と思っていた。…

今日はなんとなく一時停止という感じの一日だった。ずっと雨が降ったりやんだりしていたし、しんとしたまま夜になった。雨の日にはあらゆる境界線があいまいになる。過去とか現在とかという時間が溶けてなくなり、ここにいながらあそこにいる感覚がより強まる。昔のことをふと思い出し、実はそれが今であり、また先のことであると気づく。時間が消えるとは、自分が消えることだ。 不意に「川を渡る」という言葉が再びやってきた。夢が現実を侵食する感触がようやく戻ってきたようだ。…

シンクロニシティ

朝に目は覚めたのだが、全身が重くてベッドから起き上がることができなかった。手足の指の関節が痛み、口の中が不快で、身体が浮腫んでいるように感じた。さくらの散歩とケアはパートナーに頼んで、さらに眠ることにした。それで、たくさん夢を見た。今もまだ身体が重い。さくらも今日はずっと寝ている。 眠っている間に、父から電話がかかってきたが、夢見の邪魔をされたくなかったので電話には出なかった。その後立て続けに何度も着信があったけれど、着信音をミュートしてそのまま眠った。 わたしが「調子がいまいちだな、身体が辛いな」と感じる時には、大抵わたしのパートナーも何かしらの不調を感じている。互いの体感や症状は異なれど、だいたいいつもシンクロするので「今日はきっとそういう日だね」と話している。そして、そういう日には、さくらはあまり歩きたがらない。いつものように散歩には出るけれど、すぐに帰りたがる。そして、家にいる間はよく寝ている。わたしとパートナーだけでなく、さくらの様子もシンクロしている。…

この世界における生と物質的存在はわたしたちのほんの一部でしかない

友人に見せるため、フィルムで撮影した母の死の前後の写真を見返していた。そして、わたしたちが肉体と名をもって存在している時間、つまり、この世界における生なんて、わずかな一部だと思った。 わたしは、母の死の直後からずっと、彼女の不在を感じていない。彼女がもうこの世界に存在しないことはわかっているが、以前との違いをあまり感じないのだ。しかし、こうして彼女の写真を見ると「そうだ、彼女はもうこの世界にはいないのだった」と確認する。だが、そこで感情が動くことはない。ただそのたびに再確認するだけだ。それ以外に大きな変わりはない。 そう気づいて、彼女が名と肉体をもってこの世界に存在しているかいないかの違いは、そう大きなものではないと思った。わたしたちの本体は、肉体をもってこの世界で生きている「部分」よりもはるかに大きい。…