フラクタル
生きているつもりで殺しつづけ、支えあっているつもりで互いに殺しあっていることに気づいていない人がたくさんいる。個の中で起きていることが、そのまま家庭で、社会で、国全体で、起きている。 立場や役割など、ほんの一部でしかない社会内相対的自己を「自分」だと思いこんで、頭の中の「おはなし」に固執する生き方は、肉体を傷めつける。無自覚にそれをやっているから、他者にも同じことを期待し強要する。自分を歪めあい、殺しあい、肉体を傷めつけあう連鎖が、あらゆる関係の中で連鎖している。…
唐突に「渡りに船」という言葉がサインのように何度も浮かんだ。そして、その意味するところがわかった。一見すると不都合だったり不愉快だったりする出来事は、実は渡りに船なのだ。だから、それに乗じて逃げればいいし、脱すればいいし、壊せばいい。 今日は、わたしの母のパートナー(内縁の夫)の娘さんに会った。互いに小学生だった頃以来、三十数年ぶりの再会だった。わたしたちは共に、幼少期から思春期にかけて両親の問題に巻き込まれた者同士(しかも、そこには同じ人物が関わっている)ということもあり、話がはずんだ。彼女はわたしに「父のような男性は、女性に無償のケア労働を平気で無限に求めてくるので、しっかり線を引いてください。ぜひ距離を取って、ご自分を守ってください。」というメッセージをくれた。…
7月上旬から母の死の瞬間まで毎日在宅看取りの日々が続き、その後すぐに葬儀、たくさんの死後事務、複数の相続手続き、母のパートナーのサポートなどに追われ、本当に休む暇がなかった(その状況は現在も続いている)。 そう遠くない将来に実家を明け渡して、ますます物理的に日本を離れることになるので、必要なものをチェコへ運ぶ準備や、税務申告の準備にも取り掛かっている。そんな最中にふと、本当に母はもうこの世界にはいないのだと実感した。 今日、わたしはとても象徴的な決断をしたところだ。…
今朝方見た夢の中で、わたしはアニメに出てくるような巨大な飛行船の中にいた。大きな窓の向こうには、巨大な羽根のようなものが見えていて、わたしは、そばにいた人に「あれはプロペラなの?」と尋ねていた。その飛行船のような乗り物の中は広々としていて、とても居心地が良かった。 そばにいたのは見たことのない男性だったが、夢の中では昔から知っている人のようだった。現実に存在していてもおかしくないようでいて、映像のようにも感じられる美しい人で、髪も肌も身に纏っているものもすべてが茶色~ベージュ色だった。彼のそばにいるのは本当に心地よくて、わたしはすっかり安らいでいた。…
母の死後の様々な整理に取り組みながら感じているのは、何事も、始めたり集めたりするよりも、終わらせて手放す/捨てる方が、よほど労力と時間がかかるということだ。モノも、コトも、関係も、常にきちんと終わりを終わらせ、片をつけておかなければ、やがて重たく膨れ上がって手がつけられなくなる。 そして、改めて思うのは、結婚/離婚、不動産/金銭権利の分割など、法的な手続きは自分が動けるうちに済ませておくべきだということだ。ずるずる後回しにしていると、結局自分が苦しむことになる。事実にしっかり向き合い、自ら取り組んで、関係も物事もきちんと片をつけておくのは本当に重要だ。 「ある」ものを「ない」ことにしても、そのツケは必ず自分に返ってくる。「ある」ものは「ある」と認め、向き合い、受け入れていくしかないし、そうすれば、自ずと解決していくものだ。自らの影も同じこと。自分の影に無自覚なまま「ない」ものとして生きていれば、その影は常に他者として目の前に現れ続ける。 情が邪魔をするなどと言うが、その根底にあるのは自己同一化だろう。誰かや何かへの情(執着)とは、自分が「ない」ものにしている自らの影の投影であり…
「あの人のようには絶対になりたくない」と思っている相手の性質や傾向は、実は自分の中にも確実にある。だからこそ「ああはなりたくない」と思うのだろう。そして「絶対になりたくない」という思いが強ければ強いほど、実は、自分もその人とまったく同じ考え方や言動をしているという事実が見えなくなる。 「絶対になりたくない」と拒絶され排除された自分の一部は影となり、その人の人生を支配する。そうして内的に分裂した人は、無自覚なまま自分の影に支配されて、自分にも他人にも支配的・暴力的な生き方を繰り返し、自分も他者も痛めつけつづけていく。共依存や虐待が連鎖するのもそういうことだ。…
生きているつもりで殺しつづけ、支えあっているつもりで互いに殺しあっていることに気づいていない人がたくさんいる。個の中で起きていることが、そのまま家庭で、社会で、国全体で、起きている。 立場や役割など、ほんの一部でしかない社会内相対的自己を「自分」だと思いこんで、頭の中の「おはなし」に固執する生き方は、肉体を傷めつける。無自覚にそれをやっているから、他者にも同じことを期待し強要する。自分を歪めあい、殺しあい、肉体を傷めつけあう連鎖が、あらゆる関係の中で連鎖している。…
いよいよ実家にある母の持ち物の整理に取り組み始めた。クローゼットも、押し入れも、箪笥や引き出しの中も、あらゆる収納スペースにぎっしりとものが詰まっている。どこもきちんと整理されてはいるが、余剰スペースがほとんどない。 母は、商売をしていた頃(わたしに対する暴力が最も酷かった頃だ)、たびたびデパートに出向いては、高価な衣類を大量に購入していた。彼女は当時を振り返って「あの頃のわたしは買い物依存だった」と言っていたが、実際は晩年までずっとその状態だったのではないかと思う。 彼女は、家のあらゆる収納スペースを埋め尽くしたように、自らの時間も埋め尽くそうとしているように見えた。いつも依存的な人を引き寄せては、他者の世話を焼き、面倒を見ていた。その上、ゴルフ、登山、スポーツジム、麻雀、社交ダンスと、常に動き回っていて、静かに一人で過ごすことはなかった。 母が暮らしていた空間を整理しながら、そして、その生活/人生を振り返りながら、やはり彼女は自らの自己欺瞞と本当の感情から目を背け続けていたのだと思う。空間も時間も埋め尽くすことによって、彼女はずっと自らの強烈な欠乏感や虚無感から逃げ続け…
昨日は、一時帰国のたびに通っている歯科で定期検診を受けた。そして、昨年から持ち掛けられてはいたものの、ずっと躊躇していた左上の親知らずの抜歯を決行した。今回は、なぜかすんなりと決心がついた。わたしは、7歳の頃から同じ歯科医に世話になっている。もちろん、彼は母のこともよく知っている。その彼に、母が他界したことを話した。 わたしが「自宅で母を最期まで看取った三週間は寝る暇もないほど大変だったし、その後もずっと忙しくて、とにかく全身くたくたに疲れている。」と話したら、歯科医は「肉体的な疲労だけでなくストレスもあるだろう。『お疲れの出ませんように』などと言うその人こそ疲れさせる原因だよな。家族が死んだばかりの大変な状況にある人の元へ訪問したりするなよ、だ。」と言った。そして「その通り!」と笑いあった。 歯科ユニットの上で処置を待つ間、わたしは短い眠りに落ちた。いつ誰が突然訪ねて来るかわからない実家にいるよりも、ずっとリラックスしていた。それで改めて気づいたが、わたしはここ(実家)にいる間は常にどこか緊張状態にあり、きちんと休むことができない。もう一ヶ月以上、4時間以上連続して眠れていない。…