レバノンの夢

今朝方見た夢の中でわたしはレバノンにいた。そこが本当にレバノンだったのかはわからないが、夢の中ではそういうことになっていた。わたしは、眺めのいい小高い丘の上にある石造りの建物の中にいた。日本やチェコでは見たことのない植物が生えていて、その向こうにはローマ遺跡らしきものが見えていた。わたしの宿泊場所だという部屋は、柱だけで支えられた壁のない吹きさらしの空間だった。すぐそばには宗教の勉強や修行をする場所だという高い塔が建っていて、老賢者のような風貌の男性たちが階段を昇っていくのが見えた。目隠しとして設えられた臙脂色の布が風に揺れていた。その後わたしは、石壁に囲まれた中庭のようなところで軍事練習らしきものを見学した。兵役中だという数人の男性たちが標的に向かって射撃練習をしていた。そこに、鮮やかな化粧をほどこした美しい女性が二人現れた。ガイドだという彼女たちは日本語を話していたが、どこの出身なのかはわからなかった。…

水鏡

10年ほど前から、わたしは眠っている間に見た夢を時々書き記すようになった。あの頃わたしはよく夢の中で深い森に囲まれた静かな湖を見ていた。空にはいつも大きな満月が浮かんでいて、水面はその光を映していた。 当時、自分の名前と大まかな自己紹介を伝えるだけでインスピレーションに基づく「あなただけの絵」を描いてくれる人に絵を依頼したことがあった。やがて『水鏡』と題された小さな抽象画が届いた。淡い青緑色が柔らかなグラデーションを描くその絵は、まるで画面そのものが中心部からふわりと光っているようだった。 あの絵を受け取ってから、わたしはますます水面の夢を見るようになった。そうするうちに、自分の身体の中、ちょうど鳩尾あたりに、絵の中の色に似た水面を感じるようにもなった。今でも意識をそこへ向けると、淡い青緑色をした境目のない静かな水鏡が存在しているのを感じる。 わたしは、この水面こそが自分の本体だと思っている。そういえば、『水鏡』を描いてくれた人は、絵は依頼主の本質を現していると言っていた。…

それは「優しさ」ではない

自分(自我)の都合でしかないことを、自らの「優しさ」や「繊細さ」だと思い込んでいることがある。社会内相対的自己つまり小さな自分を保つための都合でしかない言動を、他者に対する優しさだと勘違いするパターンだ。日本社会で自らを傷めつけて生きていた頃のわたしにもそういうところがあった。 自らの影を頑なに拒絶して他者に押しつけたまま、都合のいい「おはなし」を繰り返す人の期待に応えて共感するのは、思いやりでも優しさでもない。それもまた小さな自我の都合だ。…

彼らは自らの影に支配されている

日本に滞在している間も、周囲の人たちの「おはなし」に巻き込まれなくなった。彼らの多くは無自覚なまま「こんなはずではなかったゲーム」を繰り返している。そうして自分自身を殺し、自他を傷め続けている。彼らが「おはなし」を繰り出してきても、わたしの感情はまったく反応しなくなった。 彼らはいつも無自覚に他者に期待している。彼らは他者が自分に共感することを求めている。そうして、他者から感情を吸い取とることで自我を保っている。彼らは自らの影を認めたくないだけだ。そうして自分自身を拒絶しているから、常に外に求め続ける。彼らは無自覚なまま自らの影に支配されている。 認めたくない事実、つまり自分の影を「ある」と認めるだけで、それまで無いものにして殺していた自分が生きてくるし、そうすれば他者に共感を求める必要もなくなるのだが、彼らはそうはせずに、「おはなし」を繰り返すことを自ら選び続けている。それが彼らの選択なのだから、放っておくだけだ。…

思いがけない再会

昨日は中高校時代の同級生と四半世紀ぶりに再会した。彼女から「Rちゃんは、お母さんから虐待を受けていたよね。Rちゃん本人はそう認識していなかったと思うけれど、あれは虐待だったよ。」と言われ、当時のわたしの実状に気づいていた人がいたのかと驚いた。そして彼女は「あんなにも悩んで苦しんでいたRちゃんが、今はこうして幸せに生きていてくれて本当に嬉しい。」と涙をこぼした。 母から受けた暴力も、中高校で受けた嫌がらせも、わたしにとってはまるで過去世のようで、普段はすっかり忘れている。昨日、彼女との対話の中で「そういえばそんなこともあった」とたくさんのことを思い出した。そして、新鮮な気分で久しぶりに他者の前で自分のこれまでの経緯を語った。 そして今日は、ある人と四年ぶりに再会した。まさか彼と日本で再会することになるとは思ってもみなかった。彼は、初対面の時から古い友人同士のような感覚を覚える人だった。今日もまた、まるでずっと昔から知る者同士のような気分で、互いの近況や、この四年の間に起きたことなどを話した。四年前にもわたしたちは、互いの越し方や家族・家系のこと、どんな風に生きてきて、どんなことを考え…

今年の春に死んだ知人に会う夢

今日は目覚める前に見ていた夢の中で、今年の春に亡くなった知人に会った。知らない街の飲食店で彼女とばったり遭遇した。彼女は最近そのあたりに引っ越してきたばかりだと言っていた。そして、彼女はとても元気そうで、屈託のないいい笑顔をしていた。わたしたちは再会を喜んで店の外で立ち話をした。連絡先を交換することになり、先に他の人たちが彼女の手帳に電話番号やメールアドレスを書いた。しかし、なぜかわたしは、自分の連絡先をうまく書けなかった。電話番号を書こうとしても、なぜか間違えてしまった。チェコのID番号も書こうとしていたが、番号をきちんと思い出せなかった。…

赤いドレスを纏う夢

赤いドレスを着る夢を見た。わたしは自分の新居だという知らない家にいた。とても広い家で、友人/知人だという何人かの知らない人たちが共にいた。わたしは、押し入れの中にたくさんの服があるけれど、自分はもう着ないものばかりなので、誰かにあげようと思っていると話していた。そして、少し高いところに設置されている押し入れに梯子をかけようと思っているのだがどう思う?と、そばにいる男性に話しかけていた。隣にいた女性が「ほら、あの赤いドレス、わたしがもらってもいい?」と言うので、押し入れの中から赤いドレスをいくつか取り出した。わたしは、豪華なフリルがアシンメトリーにあしらわれた真っ赤なドレスを着て、傍にいた男性に「どう?」と笑顔で尋ねた。肩と胸元が大きく開いたそのドレスは、わたしが長らく身に着ていないタイプの服だった。普段の装いとはまったく異なるドレスを纏うのはいい気分だった。…