存在すら幻想だったかのように感じられる

母が死んでからもうすぐ5ヶ月が経つ。その間に「そういえば彼女はもうこの世界にはいないのだ」と不意に気づくことが数回あったが、最近では、わたしが見ていた彼女はすべて幻想だったような感覚がある。彼女の存在も、彼女との関係も、すべてが今とは別の過去世のようで、彼女の写真を見ても不思議な感じはするけれど、感情は動かない。 今月初旬に再度日本に滞在し、「ここまでは終わらせる」と決めていた死後整理を完結させた後、わたしが実感したのは大きな解放感だった。「無自覚に背負っていた重荷が解消したみたいだ、家族とはわたしにとってある種の呪いだった」とパートナーに話したら「理解する人も多いと思うよ」と言っていた。 彼の母親もまた、わたしの母親と同じように、自己犠牲的で共依存的な関係を繰り返してきた人のようだった。以前、わたしは彼に「わたしの母は物理的な死をもってようやく自らの『おはなし』から逃げ出せたのだと思う」と話したことがある。すると彼は、2年前に死んだ自分の母親に対して同じように感じると言った。 5月から6月にかけて、わたしの夢にはよく母方の祖母が現れた。それよりも前から母は時々わたしの夢に現れた…

水瓶座1度とレバノンの夢、タボル山、ヨルダン川

今日は木星が水瓶座に移動した。水瓶座1度で木星と土星がコンジャンクション。この夢は水瓶座1度「古いレンガ造りの伝道所」のイメージに近い。 レバノンの夢 今朝方見た夢の中でわたしはレバノンにいた。そこが本当にレバノンだったのかはわからないが、夢の中ではそういうことになっていた。わたしは、眺めのいい小高い丘の上にある石造りの建物の中にいた。日本やチェコでは見たことのない植物が生えていて、その向こうにはローマ遺跡らしきものが見えていた。わたしの宿泊場所だという部屋は、柱だけで支えられた壁のない吹きさらしの空間だった。すぐそばには宗教の勉強や修行をする場所だという高い塔が建っていて、老賢者のような風貌の男性たちが階段を昇っていくのが見えた。目隠しとして設えられた臙脂色の布が風に揺れていた。その後わたしは、石壁に囲まれた中庭のようなところで軍事練習らし… Cesta ke hvězdámR. Rorýs [https://www.hvezda369.cz/2020-12-19/] アストロマップを確認したところ、ドラゴンヘッドICラインがレバノンのほぼ真上を通っていた。現在わたしが住んでいるT…

レバノンの夢

今朝方見た夢の中でわたしはレバノンにいた。そこが本当にレバノンだったのかはわからないが、夢の中ではそういうことになっていた。わたしは、眺めのいい小高い丘の上にある石造りの建物の中にいた。日本やチェコでは見たことのない植物が生えていて、その向こうにはローマ遺跡らしきものが見えていた。わたしの宿泊場所だという部屋は、柱だけで支えられた壁のない吹きさらしの空間だった。すぐそばには宗教の勉強や修行をする場所だという高い塔が建っていて、老賢者のような風貌の男性たちが階段を昇っていくのが見えた。目隠しとして設えられた臙脂色の布が風に揺れていた。その後わたしは、石壁に囲まれた中庭のようなところで軍事練習らしきものを見学した。兵役中だという数人の男性たちが標的に向かって射撃練習をしていた。そこに、鮮やかな化粧をほどこした美しい女性が二人現れた。ガイドだという彼女たちは日本語を話していたが、どこの出身なのかはわからなかった。…

水鏡

10年ほど前から、わたしは眠っている間に見た夢を時々書き記すようになった。あの頃わたしはよく夢の中で深い森に囲まれた静かな湖を見ていた。空にはいつも大きな満月が浮かんでいて、水面はその光を映していた。 当時、自分の名前と大まかな自己紹介を伝えるだけでインスピレーションに基づく「あなただけの絵」を描いてくれる人に絵を依頼したことがあった。やがて『水鏡』と題された小さな抽象画が届いた。淡い青緑色が柔らかなグラデーションを描くその絵は、まるで画面そのものが中心部からふわりと光っているようだった。 あの絵を受け取ってから、わたしはますます水面の夢を見るようになった。そうするうちに、自分の身体の中、ちょうど鳩尾あたりに、絵の中の色に似た水面を感じるようにもなった。今でも意識をそこへ向けると、淡い青緑色をした境目のない静かな水鏡が存在しているのを感じる。 わたしは、この水面こそが自分の本体だと思っている。そういえば、『水鏡』を描いてくれた人は、絵は依頼主の本質を現していると言っていた。…

それは「優しさ」ではない

自分(自我)の都合でしかないことを、自らの「優しさ」や「繊細さ」だと思い込んでいることがある。社会内相対的自己つまり小さな自分を保つための都合でしかない言動を、他者に対する優しさだと勘違いするパターンだ。日本社会で自らを傷めつけて生きていた頃のわたしにもそういうところがあった。 自らの影を頑なに拒絶して他者に押しつけたまま、都合のいい「おはなし」を繰り返す人の期待に応えて共感するのは、思いやりでも優しさでもない。それもまた小さな自我の都合だ。…

彼らは自らの影に支配されている

日本に滞在している間も、周囲の人たちの「おはなし」に巻き込まれなくなった。彼らの多くは無自覚なまま「こんなはずではなかったゲーム」を繰り返している。そうして自分自身を殺し、自他を傷め続けている。彼らが「おはなし」を繰り出してきても、わたしの感情はまったく反応しなくなった。 彼らはいつも無自覚に他者に期待している。彼らは他者が自分に共感することを求めている。そうして、他者から感情を吸い取とることで自我を保っている。彼らは自らの影を認めたくないだけだ。そうして自分自身を拒絶しているから、常に外に求め続ける。彼らは無自覚なまま自らの影に支配されている。 認めたくない事実、つまり自分の影を「ある」と認めるだけで、それまで無いものにして殺していた自分が生きてくるし、そうすれば他者に共感を求める必要もなくなるのだが、彼らはそうはせずに、「おはなし」を繰り返すことを自ら選び続けている。それが彼らの選択なのだから、放っておくだけだ。…

思いがけない再会

昨日は中高校時代の同級生と四半世紀ぶりに再会した。彼女から「Rちゃんは、お母さんから虐待を受けていたよね。Rちゃん本人はそう認識していなかったと思うけれど、あれは虐待だったよ。」と言われ、当時のわたしの実状に気づいていた人がいたのかと驚いた。そして彼女は「あんなにも悩んで苦しんでいたRちゃんが、今はこうして幸せに生きていてくれて本当に嬉しい。」と涙をこぼした。 母から受けた暴力も、中高校で受けた嫌がらせも、わたしにとってはまるで過去世のようで、普段はすっかり忘れている。昨日、彼女との対話の中で「そういえばそんなこともあった」とたくさんのことを思い出した。そして、新鮮な気分で久しぶりに他者の前で自分のこれまでの経緯を語った。 そして今日は、ある人と四年ぶりに再会した。まさか彼と日本で再会することになるとは思ってもみなかった。彼は、初対面の時から古い友人同士のような感覚を覚える人だった。今日もまた、まるでずっと昔から知る者同士のような気分で、互いの近況や、この四年の間に起きたことなどを話した。四年前にもわたしたちは、互いの越し方や家族・家系のこと、どんな風に生きてきて、どんなことを考え…