2020‐08‐18 母を看取った後の日本滞在日記

母のパートナーが入院したので、家の中がとても静かだ。重病人で身体が不自由な彼は、あまり動くことができないため、一日中ソファに座ってテレビを観ている。だから、わたしもここにいる間はずっと、望んでいなくともテレビの音に囲まれ続けていた。今日は外から鳥の鳴き声が聞こえてくる。 昨夜はようやく静かな夜が訪れ、わたしは久々にぼんやりとネットサーフィンをして夜遅くまで過ごした。そして、シャワーも浴びずに布団に倒れ込んだ。約1ヶ月半の疲労が一気にやってきた。今もまだ全身が重くて怠い。他者からの電話や訪問を身体が拒絶している。自分が望んでもいない人の話を聞くのは本当に疲れる(肉体を傷めつける)と実感する。 母のパートナーの入院予定を伝えてあったからか、実父からまた電話がかかってきた。「時間はできたか、飯を食べに行こう。」という彼に「ようやく少し心身が休まる時間ができたところだ。わたしには休息が必要だし、片付けることがまだたくさんあるので、あなたとは食事には行かない。」と正直に答えた。 やることはまだまだあるけれど、わたしの肉体に無理のないよう、なるべく心地よいペースで取り組んでいく。…

2020‐08‐17 母を看取った後の日本滞在日記

わたしは、母の死後もしばらく日本の実家に滞在して、重病のために身体が不自由な母のパートナーと二人で過ごしている。掃除や洗濯などの一般的な家事と、彼の食事や生活のサポートをしながら、母の死後の様々な手続きや作業に取り組んでいる(さらに、合間には仕事もしている)だけで、文字通り一日が終わってしまう。かれこれひと月以上、ずっと睡眠が足りていないし、自分のための時間などなかった。 こういう生活を送ってみて思うのは、母は散々愚痴や文句を言いながらも、結局は、他者のために自分の時間を費やす生活を自ら選択し、長年それを続けてきたということだ。わたしが知る限り、彼女はその人生の大半を身近な人たち(さらに言えば、彼女と共依存関係にあった人たち)のために消費してきた。 彼女の選択に、正しいも間違いもない。彼女がそう選んだというだけのことだ。ただ、わたしがはっきりとわかったのは、彼女もまた、立場/役割を生きることが「全うに生きること」だと思っていたのだろうということだ。彼女のような生活/生き方の中で、自己を想起し、自分を作り、自らを生きることなど不可能だろう。…

2020-08-14 母を看取った後の日本滞在日記

一昨日発生したある出来事を通して、家(空間)は、そこに棲む人の内的状態をそのまま表していると感じた。たとえば、わたしの母は、家の中の収納部分にぎっしりと様々なストックを溜め込んでいたが(室内の表側は常に整理整頓されていた)、それはまさに、母の内的状態と在り様そのものだった。 また、部屋の様子だけでなく、住居のトラブルなどにも、そこに棲む人の状態は象徴的に現れる(たとえば、自覚されずに溜め込んでいる感情があると音漏れや水漏れを起こす等)。 そして、人は自分不在の状態でいると、家・家系をはじめ、自分が物理的に所属する社会に流れる連鎖の容れものになる。そうして、自覚のないまま、属性や立場だけが自分だと思いこんでしまう。家も、人(の肉体)も、”容れもの” なのだと改めて感じる。…

2020-08-13 母を看取った後の日本滞在日記

7月初旬に日本に帰国して以来初めて友人と会った。彼は、わたしが滞在している市まで会いに来てくれた。わたしは、在宅緩和ケア医師である彼を相手に、母の看取りと見送りについてたくさん話した。そうして、自分が今とても満たされていること、さらに、母の死を通してわたしの中の何かが仕上がりに向かっていることを実感した。…

2020-08-13 母を看取った後の日本滞在日記

日本に帰国する前から、鳥が人の身体から一羽ずつ羽ばたいていくイメージが繰り返し頭の中に浮かび続けていた。終末期のせん妄がはじまった母が、突然天井を指さして「あんなところに鳥がおる」と言ったことがあった。「鳥、飛んでる?」「ううん」「じゃあ、そこにとまってるんやね」と言葉を交わしながら、わたしは彼女が見ただろうビジョンを共に味わった。あの体験を通してわたしは、目には見えないところ、形にはならないところで、彼女と響きあっているのを感じた。 ささやかな出来事だったけれど、母の看取りの中で最も印象に残っていること。…

2020-08-11 母を看取った後の日本滞在日記

たとえば「それでも家族なんだから」と言われても、「だから、何?」というだけだ。家や家族(ひいては社会、国民、国家など)といった都合のいい幻想の共有を強いられるのはごめんだ。そんなものに巻き込まれてたまるもんか。わたしが自分を作って自分を生きるのを妨げるものは、要らない。それだけだ。…

2020-08-11 母を看取った後の日本滞在日記

わたしがなんとなく近くに感じる人たちは、実際に顔を合わせるかどうかといった物理的な接触の有無や距離にはとらわれない人たちだと改めて気づいた。中には、一度も会ったことがない人もいる。それでも、通じている、響きあっている、と感じている。さらい言えば、相手が自分のことを知らなくたっていいし、相手が既に死んでいたっていいのだ。互いが肉体・個体として地上世界で出会うことはなくても、エーテル的に響きあっていれば、十分に通じあえるし、受け取ったり受け渡したりすることもできる。…

2020-08-09 母を看取った後の日記

母の死を機に、わたしがなぜ10代の頃からずっと”家”から逃げ続けてきたのかが改めてわかった。わたしは「自分」を作りたかったのだ。 思春期の頃から「ここ(家や家系、その周辺の社会)にいたら自分は死んでしまう」と感じていた。ずっと、家族を含むあらゆる関係から脱したかった。あれはおそらく「ここに留まっていては『自分』を作ることはできない」と感じていたのだろう。…