日本の記憶

日本で見た眺めを思い出す時にはいつも湿度の体感が蘇る。日本の風景とチェコの風景とでは、空も水も緑も土も色がまるで異なると描くたびに感じる。そしてそれは緯度の差による光と色の見え方の違いだけでなく、空気中に含まれる水の量が違うからだとも思う。 日本の記憶としていつまでも残るのは、特定の場所や眺めではなく、あの湿度の体感ではないかと思っている。湿度とそれがもたらす色そして匂い。…

一切皆空

一時的な肉体と名に閉じ込められているわたしという‘此れ’はひとつの夢であり、そのひとつの夢の中で遭遇するあれやこれやも、あの人もその人も、またすべて夢である。上にも下にも無限に入れ子状態になった夢の中にいる。それはまた、意図すれば自在に移動できるということでもあるのだが。 すべてが夢であると気づくことは、自分などというものはそもそも無いと発見することでもある。そこからようやくはじまる。破綻からようやく‘わたし’がはじまる、すなわち生がはじまるとはそういうことだ。 この肉体と名に閉じ込められることによって見られる夢を見に来たのだ。 以前のわたしは名と肉体を与えられて閉じ込められた‘犠牲者’になりきっていたのだな。そしていつしかそれに飽きたのだ。やり尽くし味わい尽くして飽きると終わるし死ぬ。そうしてその陰陽を抜けたところで再生する。 「終わらせるため」に来た。わたしはその途上である。…