夢か現か

午後遅めの時間にまったく予定していなかった店で昼食を食べることになり、残り少ないランチメニューの中からボロネーゼパスタを選んだ。普段なら確実に選ばない料理だが、他に食べられそうなメニューがなかったのだ。やがて運ばれてきた皿を目にした瞬間、白いTシャツにボロネーゼソースの染みを付けてしまう夢を見たことを思い出した。 わたしは夢と同じく白いTシャツを着ていた。急いでいて、引き出しの一番手前にあった一枚を掴んだのだから仕方ない。夢の場面を繰り返さないよう、わたしはかなり慎重にゆっくりとフォークを使い、無事に染みを作ることなく食べ終えた・・・はずだった。数時間後、自宅に到着する直前にふと右の胸元に視点を落とすと、そこには点々と小さなオレンジ色の染みが飛んでいた。 結局夢で見たとおりになってしまった。いや、果たしてあれは夢だったのか、それとも一瞬未来を垣間見たのか、はっきりしない。白いTシャツにボロネーゼソースの染みが付いてしまった場面以外は何も覚えていない。白いTシャツを着ていたのが自分だったのかすら曖昧だ。まるで時が巻き戻されて、同じ場面を二度味わったかのような出来事だった。 明日…

さくらの寝息を聴きながら

3年前、母が手術を受けて入院していた間、日本に滞在していたわたしは、さくらと一人&一犬だけで二週間ほど過ごした。昨夜隣で眠るさくらの寝息を聞いていたら、あの日々がふと思い出された。あの頃はまだ、その翌年にはチェコでさくらとともに暮らすことになるなど想像もしていなかった。 2019年11月、わたしはこのように書いていた。 > 「犬との生活は愉しい。手間も労力も必要だけれど、それもまた楽しい。クークーと寝息を立てる犬のそばで眠る日々もあと数日で終わりかと思うと、ちょっと寂しい。」 > 「犬の寝息を傍で聴きながらこれを書いている。彼女を置いてここを去る日のことを思うと切ない。きっと数ヶ月後にはまたここへ戻ってくるけれど、それでもやっぱり彼女と離れるのは寂しい。」…

デネブ ― 命を狙われる中、犬とともに移動している夢

夢の中でわたしは常に命を狙われているようだった。身の回りには特殊部隊のような存在がたくさん潜んでいるので、かなり慎重に行動しなければならず、姿を見られないよう常に隠れて行動していた。そんな状況の中、わたしは天文台だという石造りの大きな塔を丸ごと何かの装置に作り変えようとしていた。作ろうとしていたのは、生活や戦いのための道具ではなく、移動のための装置か、あるいはロケットや宇宙船のようなものだったと思う。 共に行動している女性が一人いたのを覚えている。わたしたちは一旦タイへ逃れようかというような話をしていた。わたしは長毛種の犬を連れていて、潜伏生活の中でもその犬がどうにか安心して暮らせるようにと気を配っていた。 移動先の高層階にある近未来的な空間で、「彼のことを知っているか」と問われたHarry Shum Jr.に似た細身の男性は、(夢の中では)古くからよく知る人物だった。こちらに向かって親し気な笑顔を浮かべている彼と「久しぶりだね」というような言葉を交わした気がする。そして、彼とその場にいる数人の人々はどうやら味方だとわかった。別の人から「何処から来たか」などの質問を受けたが、わたし…

ゆらぎの記録

あらゆる記憶がごちゃ混ぜのままランダムに去来し、時系列が崩壊していく。あれもこれも繋がりのある物語ではなく、ばらばらの断片になっていく。時間の分離も空間の分離も消滅し、すべての断片がひとつのところにある。ここ数日またそういう感覚を味わっている。 このところまたOCDの波が大きくて、必要な仕事以外はできるだけ何もしないよう自分を止めて、ただぼんやりしたり、絵を眺めたり、水晶を見つめながら眠りに落ちては夢を見たりしている。いわゆる鬱期だが、こういう時には自分の内側で目には見えない組み換えやアップデートが起きているのだと思っている。 頭の中が理由もなくもやもやし、胸や腹の中がざわざわして、痛みや強ばり等の身体症状も伴うので不快ではあるが、不快もまた不快のまま、無理に取り払おうとはせず、強迫観念をじっと眺めている。水晶を見つめたり絵を描いたりするのは助けになる。もし楽器を演奏できるならそれもいいだろうなと思う。…