姫路滞在中

今回の姫路滞在中は、毎日何かしら驚くような出逢いが続いている。そもそも日本へ向かうフライトから幸運続きだった。日本に到着してからも、さまざまな場面で人に親切にしてもらい、思いがけず良いものを入手できたり、欲しかったけれどあきらめていたものに偶々出逢えたりと、実に恵まれている。 今日は、昔よく母に連れられて来た百貨店内のコーヒースタンドを再訪した。日本に到着してから4日目。毎度ながらあれやこれやと用事や予定が続き、一人でゆっくりできる時間がなかったので、ようやくしばし静かな時間を過ごすことができた。 日本に来ると睡眠不足に陥るのはいつものことだ。到着後しばらくは、約30時間かけて移動した緊張と疲れがなかなか取れない。そして、時差ボケのためぐっすり眠れない上に、仕事もあるし、洗濯もしなければならないし、やることが多くて肉体を酷使しがちになる。 明後日から再訪する久米島では、なるべくのんびり過ごしたい。…

久米島、アーラ浜

最新のパステル画に描いた久米島のアーラ浜。先日、この浜辺には小さな神殿(御嶽)があること、そして昔はここに集落があったことを初めて知った。また、本当かどうかはわからないが、ここは海の神と山の神が出逢う/衝突する場所だという話も読んだ。 私が久米島に行こうと決めたきっかけは、夢で見た洞窟と、六角形の奇岩が並ぶ浜辺によく似た場所があるのを偶然知ったからだった。その夢の中で、私は地元の祭司に彼らの神を召喚するよう依頼し、私は自分の神を呼び出した。彼らの神は半魚人のような姿をしていた。私の神は巨大な白蛇だった。そこは久米島に似た、神秘的な風景に囲まれた南国だった。 今年また私は久米島を訪れる予定だ。アーラ浜では神殿を探してみようと思っている。但し神殿付近にはハブがいることが多いそうなので、迂闊には近づかないつもりだ。 そしてもうひとつ。このアーラ浜の背後に聳えるアーラ岳の反対側には金鉱跡がある。つまりここには金鉱脈があったというわけだ。夢で見た白い大蛇は、アーラ岳の神だったのだろうか……

ご飯を作ってくれる人たち

近所に住む友人が、手料理をよく食べさせてくれる。先週はキムパをたくさん作ってくれ、その翌日にはまだ材料が残っているからとピビンパを作って持ってきてくれた。さらには、彼女が作った餅アイスクリームも。そして今週は、サーモンとエビが載った春雨を作って届けてくれた。 シンガポールから来た彼女とは味の好みが近いこともあって、彼女の料理は何を食べても美味しい。そうして私はすっかり彼女に甘やかされている。とてもありがたい。 更年期やらPMSやらで体調が頻繁に揺らぐ中、友人がこうしてよく手料理を届けてくれたり、Vが料理をしてくれたりするので、とても助かっている。私は料理は嫌いではないが、買い物から料理まですべての作業にOCDの強迫観念/行為が伴ってひどく消耗するので、今はあまりやりたくない。人が作ってくれたものは何でも有難くて、美味しい。…

胃腸の不具合と痛みから気づいたこと

8月4日に描き始めた絵がようやく完成した。今月は、身体の不調が続いたり、仕事や用事に時間を取られたりして、一枚も完成させられないのではないかと半ばあきらめていたが、無事に仕上げることができてよかった。 数日前から胃腸の具合が優れずにいるが、今日になって、以前に十二指腸潰瘍や逆流性食道炎を患った時とよく似た症状が出てきた。そこでふと、「いったい私は何を我慢し、どんな無理を呑み込んでいるのだろう」と考えてみた。そうしたらすぐに思い当たることがあった。 数ヶ月前からぐずぐずと続いている身体の不調と、それに伴うOCDの悪化の元になっているだろうストレス源に気づいたら、不意に身体が少し楽になった。そろそろまた潮時だと感じてはいたが、きっと本当にそうなのだろう。関わり方や取り組み方を変え、優先順位と時間の費やし方も変えていく必要があるようだ。 身体のあちこちが不調でも、絵を描いている間は痛みも不快感も忘れている。もちろん、立って絵を描くことができるぐらいの調子と体力がある時に限るが。これから徐々に、絵を描き続けるための生活を築いていこうと思う。…

“Happy is not the right word.”

幸せという言葉はあるけれど、幸せとは果たしてどういうことなのかを考えると、答えは見つからないような気がするし、体のいい空言がいくらでも作れそうな気もする。振り返ると、私にとって人生は常に苦痛(suffering)の連続であり、地球上に人として存在しなければならないこと自体が苦悩なのだと思っている。 とはいえ、今現在の自分自身には満足しているので、昔に比べれば苦悩の重さは格段に軽減した。もしかすると今のこの状態は、形は変われども苦痛が消えることはないと諦め、生きている限り生きるしかないことを受け入れて、ようやく辿り着いた一つの段階なのかもしれない。 そんなことを一人で考えていたら、アンドレイ・タルコフスキーの言葉を思い出した。 “Happy is not the right word. This world is not a place where we can be happy. It wasn’t created for man’s happiness, though many believe this is the…

夏の記憶

夏季休暇中の友人たちから届くメッセージからも、SNSに流れてくる文章や写真からも、お盆を迎えた日本の雰囲気が伝わってくる。日本特有の行事や風習の時期が来ると、今はもうない昔のことや場所が思い出されて、懐かしいような切ないような気持になる。 不意に蘇る日本の記憶に夏の風景が多いのは、幼少期や思春期に長い夏休みがあり、何かと行事も多かったからだろうか。アパートの窓から味わった夏の早朝の気配、商工会議所で行われた盆踊りの練習、母や祖父母と車で旅に出た時に見た景色。様々な記憶の断片がやってきては流れていく。…

静かな生活

友人が、あるポッドキャストを聞いて私のことを思い出したと、その番組を紹介してくれた。私自身も以前から興味を抱いている人の番組だったので、早速聞いてみたのだが、体調が優れないためかじっと聞いているのが辛くて、序盤早々に止めてしまった。 最近は、音声を聞きながら何か他のことをするのが以前にも増して困難になった。特に、人の「語り」を聞くには、その声のみに集中する必要がある。そして、聴覚に集中し、聞き取った言葉を理解するには体力を要する。だから、身体の調子が優れない時には、誰かの話を聞くのは難しい。 また、日本語の「話し言葉」を耳にする機会が殆どない生活が長くなり、音声だけで日本語を聞いて理解することが以前よりも難しくなっている気もする。対面で話を聞く場合には支障を感じないが(そもそもそんな機会が滅多にないのだが)、日本語特有の音やリズム、抑揚に、馴染みが薄れてきているのかもしれない。私は元々、読むことに比べて、聞くだけで物事を理解するのが難しい傾向があるので、なおさら聞き取りが難しいのだろう。 とはいえ、件のポッドキャストに興味はあるので、もう少し身体の状態が楽な時に再び聞いてみようと…