海王星プロジェクト

松村潔氏が言うところの海王星プロジェクトで、5月半ば頃までに世界卵を完成させるのは、ヘリオセントリックでは海王星は5月に牡羊座へ移動するからだと、さきほどようやく気づいた。数ヶ月前からあまりに忙しい日々が続いていたので、あまりチェックしていなかった。 昨年、日本にいた最後の直系血族が死んで、残っていた遺産はすべて手放し、それと同時に、この身体とそれに付随する地上存在としての自分の居所は整備したので、準備は既に終えた気がする。しばらく前から既にやり残しは無いと感じているし、なんというか、すべて満たされていてどうとでもなれる。 物理的な死はまだしばらく先に予定しているけれど、「これでいつでもすっきり死ねるね」という安心感に満たされている。そして、ごく身近な人は、このわたしの言葉をなんとなく理解しているようだ。 自己遍在化は、行き来するのではなく、拡大というのもわかる気がする。そして、地上ではちょっと影が薄くなるというのはいいことだ。…

旅の目的

先日、ある人(チェコ在住日本人)との会話の中で、彼女が2月に日本へ行くと聞き、「ヨーロッパは何もかも値上がりし続けていて高いし、同じお金を使うなら、日本へ行く方が、日本のごはんも食べられるし、買いたいものもたくさんあるし、他にも愉しめることが多くていいよね」という話になった。海外在住の日本人にとっては、日本にいる家族に会いに行くことが日本へ足を運ぶ目的であることも多いだろうから、他の国や地域への旅と直接比べるのは難しいかもしれないけれど。 更に続いた会話の中で、彼女が「まだまだ行きたいところはたくさんあるし、身体が動けるうちに行っておきたい」と言った時、ふとあることに気づいた。わたしはもう、以前のようにいろんな場所へ行きたいとは思わなくなっているようだ。 いずれ訪れる/再訪するつもりの場所は確かにあるけれど、「行きたい場所」は随分減った気がする。以前は、特に日本にいた頃は、いつも旅に憧れていたし、世界中に行ってみたい場所がたくさんあった。しかし、いつしかそうした「どこかへ行きたい」という欲求が薄くなったのは、現在のわたしが今ここに在る自分(の生活や状態)に満たされているということな…

惑星の借りを返す

「七つの惑星に借りを返し、第八恒天に至る」 「囚人はすべての借りを返すまで、そこを出られない」 ふとこの二つのフレーズが連続して頭に浮かんだ。 わたしは、人生とは借りを返すための時間だと思っている。この時間には限りがあり、あっという間に終わりが来る。そして、借りを返し尽くして第八恒天に至れる人はとても少ない。 そもそも、第八恒天に至ることを目的にする人自体がごく僅かだろう。実際には、借りを借りのままにするどころか、借りを増やし続ける人の方が圧倒的に多い。グルジェフがいうところの「人間機械」だ。…

あれから9年

9年前の今日、私は初めてチェコにやってきた。あの時にはまさか自分がこの国に定住することになるとは思ってもみなかったけれど、初めてこの地に足を踏み入れた時から説明しがたい居心地の良さを感じていたのは確かだ。…

幻のように

ああもうほんとうにみんな死んでしまったのだという実感は何度でも不意にやってきて、そのたびに、存在も時間もすべてが夢だったように感じられる。そうしてあれらはいったい何時、何処だったのかも曖昧になり、今確かに自分が居るはずの此処が何処なのかさえ朧げに揺らぎはじめる。みな瞬く間に消える幻のようなもの。 何のため四十八年過ぎたのか頭かしげてみてもわからず ― 山崎方代…

大きな白い狐の面

夢の中で古い大きな木造家屋の中にいた。日本家屋のようだったが、その場所自体はこの世のものではない感じが漂っていた。室内に置かれた箪笥や棚、机、椅子、炬燵などの家具もみな随分長く使われてきた古いもののようだった。人の気配もあった気がするが、誰がそこにいたかは思い出せない。 家の中をうろうろしているうちに、その家屋は隣同士の建物と繋がっていることに気づいた。どうやら並んで建っているすべての建物は密かに繋がっていて、大きな一角を成しているようだった。きれいに磨かれた板張の廊下を歩いていくと、突然雰囲気が全く異なる空間に足を踏み入れた。 そこは、何かしら信仰のために作られた場所のようで、どことなく大陸風の雰囲気を感じた。右手には短い段の先に幅の広い廊下が続いていた。左手には入場受付のような窓口があり、職員もいるようだった。そして、入り口と廊下の境目の天井近くに、大きな大きな白い狐の面が掲げられていた。 昨夜眠りにつく前に、偶々目にした伏見稲荷大社に纏わるエピソードをいくつか読んだところだったので、夢の中で伏見稲荷さんに繋がった/訪れたのかもしれない。…

名字の遍歴

結婚後、チェコではチェコにおける氏名で署名を求められるようになり、サインの練習の必要を感じている。チェコにおけるわたしの新しい名字はちょっと長い上に、ハーチェクが1つ、チャールカが2つあり、筆記体ではまだスムースに書くことができない。先日も、保険の手続きに出向いた際にチェコの名字で署名を求められ、ゆっくり書きつつも間違えそうになって思わず苦笑し、担当者も笑いながら「大丈夫、合ってる」と確認してくれた。 一般的に婚姻前の氏はmaiden nameとかoriginal family nameとかと呼ばれるが、わたしの場合、一度目の婚姻相手との離婚時に婚姻時の氏(つまり元夫の氏)を名乗ったまま単独で新しい戸籍を作ったので、旧姓をmaiden nameと呼ぶのは違う気がする。 また、わたしの両親はわたしが10代の頃に離婚し、わたしは旧姓に戻った母の戸籍に入ったので、この時にもわたしの氏は変わっている。出生時は父方の氏だったので、birth nameはひとつだ。しかし、family nameはと問われると、生まれた時の氏と、両親が離婚した後の母方の氏の両方が頭に浮かぶ。 チェコの行政機関へ…

ヴロツワフからの帰り道

ターボルからヴロツワフまでは車で約4時間半(約320km)とそこまで遠く離れてはいないけれど、国境を超えると風景も気配も明らかに違っていた。同じチェコ国内ですら、ターボルがある南ボヘミア州と、ポーランドとの国境に接するチェコ北東部のフラデツ・クラーロヴェー州とでは、地形も眺めも雰囲気も随分異なる。 ヴロツワフの水は美味しく飲めたものの、南ボヘミアの軟水に比べると硬い(実際に中硬水らしい)ようで、普段使っている石鹸の泡が立ちにくかった。地続きの隣国でも、当然ながら土が異なれば水も違うし、歴史と文化、風習の違いが、街並みや建築様式の違いにも現れる。 ポーランド西部のヴロツワフから、チェコ北東部のフラデツ・クラーロヴェー州、中央ボヘミア、そして南ボヘミアと、車窓を流れる風景の移り変わりを楽しみながら、無事ターボルの自宅に帰ってきた。…