物理的な移動ではなく

日本にいた頃はいつもあんなに旅に憧れていたのに、最近は旅への欲求も随分と減った。訪ねてみたい場所は今でもあるし、会いに行きたい人もいるけれど、以前ほどの強い思いはなくなった。行くべき場所にはいずれ行くだろうし、会うべき人にはいずれ会えるだろうから、それで十分だ。 思うに、あの熱烈な旅への憧れは、自分が身を置いていた場所や社会からの逃避または脱出への欲求だったのではないか。立場、役割、関係、要するに”自分”という「おはなし」をリセットしたかったのかもしれない。社会内相対的自己が自分だと思いこんで生きていれば、そうなるのも仕方ないだろう。 しかし、社会の中の相対的自己を自分だと思いこんでいる限り、どれだけ旅を重ねて”リセット”したところで、それは「おはなし」の入れ替えでしない。いくら場所を移動し、身を置く環境を変えたとしても、結局は横軸のバリエーション増加でしかないので、ますます旅を求め続けるというスパイラルすら生じそうだ。 今となっては、自分が暮らしているこの小さな街の中ですら、一生撮り続けても終わりがないものに溢れていて、それに専念しているだけであっという間に肉体的な死がやってく…

プラハの街に対する視点の変化

昨日昼過ぎから一時間半電車に乗ってプラハまで出かけ、歯科治療を受けて帰ってきただけで、今もまだ疲労が抜けずにいる。外出や人と接する予定を一日に複数詰めこむのはもう無理だし、そうした予定が連日重なるのも無理だなと思う。在宅勤務になって、都市部を離れられて、本当によかった。 最近はプラハに行くと、街が荒れていると感じるようになった。路上にはたくさんのゴミが散乱し、あちこちでヴァンダリズム(落書きや器物の破損)を目にする。人々の様子や雰囲気もどことなくストレスフルで、南ボヘミアとは違っている。わたし自身がプラハに住んでいた頃にはなかった視点だ。 南ボヘミア出身のVは以前から「プラハの街は荒れていて、きれいだとは思わない」と言っていた。他の人々からも同じ言葉を聞いたことがある。今ではわたしも彼らの言っていたことがわかる。チェコへ来たばかりの頃、少し言葉を交わしたある店のスタッフが「プラハは忙しくてストレスフルで疲れる、わたしの故郷とは全然違う」と言っていたのを思い出した。…

重要書類を持ち出す夢と、巨大な船に乗り込む夢

今朝方見た夢の中で、わたしは建て替えられる前の古い実家に似た場所から重要な書類だけを持ってその場を去ろうとしていた。そこには攻撃的で気難しそうな女性がいて、同じくその場にいた男性に対して激しく文句を言っていた。もう一人、わたしを守ろうとしてくれる女性がいたが、自分で何とか出来そうだった。 別の夢では、わたしは巨大な船に乗りこんでいた。それは確かに船と呼ばれていたが、そこは海ではなかった気がする。船の入口で、礼儀正しいスタッフによって左手首に輪のようなものを填められたが、それは形式的なものらしく、すぐに抜け落ちて消えてしまった。 その後、白い光に包まれた銀色の近未来的な長い通路を歩いた。通路を抜けると、巨大なホテルのロビーのような空間が広がっていて、たくさんの人の姿が見えた。わたしは大きな螺旋型の階段を上って上階へ向かった。上階には様々な売店や飲食店が並んでいて、どの料理もみな美味しそうだった。 飲食店の前を歩いていたら、見知らぬ男性から「お母さんはどうした?」と尋ねられた。わたしは「一緒に来ている」と下の階を指し示した。男性は安心したようだった。さらに歩くと、別の店の外に設置され…

着替える夢とデネブ、カペラ

このところよく夢の中で着替えようとしている。大抵は広大なフィッティングルームあるいはパウダールームのようなところにいる。周囲にはいつも多くの人(主に女性たち)がいて、彼女たちもそれぞれ着替えたり化粧を施したりしている。空間はどこか宇宙的で、全体が白っぽい光に包まれている。 昨夜は1時頃にさくらが起きだしてきて何かを訴えている様子だったので、急遽散歩に連れ出してもらった。その後、デネブのことを思いながら眠りに就いたものの、3時過ぎにまた目が覚めた。手洗いに行って再びベッドに入ったら、目線の先でカペラが煌々と輝きながらその存在を主張していた。…

破壊と再生、動的平衡

新型コロナウイルスの変異の速度と多彩さには驚かされるばかりだ。その変幻自由な動きとスピードに倣って、わたしたち人間も”自分”という殻(経験と習慣に基づく思考と行動のパターン)を自ら壊して変化していくしかないのだと改めて思う。 「今ある習慣、生活、社会、関係、自分という”形”を継続させたい=変わりたくない」のは人(自我)の都合でしかなくて、ウイルスも地球も我々の肉体も人の都合にあわせたりはしないし、人間が都合を押し通そうとすればするほど、それらはますます大きな脅威として見えてくるだけだ。…