「Come Together」のリズムにあわせて口が13回縫われる

今朝方見た夢は確かいわゆる悪夢的な展開だったと思うけれど、わたし自身は怖くも気持ち悪くもなくて、目覚めはいつも通りすっきりしていた。The Beatlesの「Come Together」のリズムに合わせて、緑色の肌をもつ誰かの口が太い針金のようなもので13回クロスステッチに縫われたシーンが記憶に残っている。その後に続く場面で、わたしは「ああ、そういうことね」とまるで夢の内容を客観的に眺めるかのように納得していたのを覚えている。昨夜眠りにつく前には、くじら座のメンカルのことを思っていた。…

感覚の記憶

空を眺めていたら猛烈に眠くなり、横になったら幾つもの感覚が溢れるように蘇った。幼少期に味わった春の陽射し、旅先で味わった海風、どれも一人で味わったもの。あたたかく、まぶしくて、ここちよい感覚の記憶。そういう感覚の束が超高速のスライド映像のように一気に蘇り、静かに溶けていった。 写真も、絵も、文章も、音楽も、何かを創造するのは、そうした「わたし」の中にある説明しえない感覚の記憶を形にする行為なのだろう。「わたし」が一人で味わった、わたしだけの感覚が、形として再現=創造される。そういう創造物はおもしろいし、そういうものだけに触れていたい。 不意に蘇る感覚の記憶はいつも一人で味わったものばかりだ。そこには他者の存在はない。たとえ誰かと共にいた間の記憶であっても、わたしの感覚はわたしだけのものなのだから当たり前のことではある。こういう体験をするたびに、わたしとは、社会の中の相対的自己ではないと実感する。 また、わたしとは感覚でもない。ましてや、わたしは感情でも思考でもない。わたしとは、あらゆる感覚がやってきては流れていく空間であり、わたしはすべてを含んでいる。…

後頭神経痛と地震

ここ数日、右後頭部のひどい神経痛につきあっている。頭の神経痛には鎮痛剤があまり効かない。昨日はPCを開かずに過ごし、スマホもなるべく見ないようにして、とにかくよく眠った。寝ても寝ても眠かった。そうして実にたくさんの夢を見た。痛みはまだ残っているけれど、徐々に消えていくだろう。 頭に神経痛が生じるたびに、2011年東日本大震災の前後にも後頭神経痛に苛まれたことを思い出す。あの当時に体感していたものと似た何かが、今もまた起きているように感じる。 友人との対話の中で「日本の土地にある成分で組み上がった肉体だから(物理的に離れていても)反応しているのでは」と言われ、そういうこともあるだろうと思った。…

銀髪、眉なし、白い肌のわたし

夢の中で、わたしの髪はかなり短いプラチナブロンドになっていた。鏡に映った自分の顔には眉毛がなく、肌は奇妙なほど真っ白で、現実の姿とはまったく異なっていた。その姿はまるで70年代前半のDavid Bowieのようだった。わたしはキラキラ光る衣装を纏い、鏡に向かって化粧をしていた。どうやら人が集まる場へ行くらしく、おそらく周囲を驚かさないようにするために眉を描いていた。 数日前に、くりぬかれた岩の中で龍を呼び出し、巨大な白蛇が現れた夢 [https://www.hvezda369.cz/2021-02-14/] を見てから、自分の中の人外成分が増しているように感じている。石に刻まれていた無数の半人半魚の骨は、数多の記憶、脱皮したあとの抜け殻だったのかもしれない。…

竜座のトゥバン

昨日も一昨日もその前の日も外の気配が妙に濃密だった。 わたしは現在の家の寝室の窓が好きで、カーテンもブラインドもつけていない。ベッドに寝ころんだまま空を流れる雲を眺めるのは楽しいし、夜には星がよく見える。一昨日の深夜、この窓の外を何かがふっと過っていくのが見えた気がした。それも二回。煙突の煙だったかもしれないし、他の何かだったのかもしれない。 ここ数日ほどトゥバンのことをよく思っている。ドゥーベ、フェクダの名をふと思い出すことも続いた。寝室の窓は北に向いていて、竜座も北斗七星もよく見える。 わたしには、夜空に星が出ているとまず北極星を見つけ出す癖がある。子どもの頃に覚えた「北極星の見つけ方」がすっかり身についている。そうして、北極星を元にして他の星や星座を確認していくのだ。 現在の北極星はポラリスだが、紀元前3000年頃はトゥバンが北極星だった。ギザの大ピラミッドにある王の間と女王の間にはシャフトと呼ばれる孔が設けられていて、王の間から北へ伸びるシャフトはトゥバンに向かっている。…