まっくろな円

とっぷりと暮れた夜の空に ‌まっくろな円が浮かんでいる ‌‌ああ月だと思ったけれど よく見れば光の炎に包まれている ‌‌どうやら皆既日食らしい‌ ‌その下にはまんまるの月が ‌‌ぽっかりという風に浮かんでいる いよいよ見に行かねばと思い ‌‌いそいそと靴を履く ‌‌すっかり小さくなった犬が ‌‌足元を走り回っている‌ ‌おかあさんがそばにいたけれど ‌‌死んでしまって話ができない ひとりで外へ駆け出した 空気がみっちりつまっているから ‌‌かきわけるようにゆっくり歩く ‌‌まっくろな円は光をまとって ‌‌近づいたり遠ざかったりする‌‌ 皆既日食と満月が並ぶなんて ‌‌月が二つになったのだろうか ‌‌ここは別の惑星かもしれない ‌‌‌‌ぐんと身体が縦に伸びる ‌‌強い力にひっぱられる ‌ちぎれそうなほど細長くなって ‌‌いつしか光の筋になる ‌‌皆既日食が近づいてくる 満月をひらりと飛び超えて まっくろな円に吸い込まれる 鍋が割れる音で目が覚めた…

「自分がない」と人は暴力的になる

一昨日、父が酒に酔った状態で電話をかけてきた。「どうしたの?」と尋ねると、彼は「あんたが何度も何度もうんちゃらかんちゃら、それで心配して電話したんや!」と捲し立てるように言ったが、わたしには聞き取ることができなかった。何度尋ねても彼の言うことはよく分からなくて、会話にならなかった。 「酔っているよね?何を言っているか分からないのだけれど、『何度も何度もわたしが何かを言った』というのは事実ではないし、それはあなたの記憶違いではないの?」と冷静に尋ねたところ、父は「そうか、そうか」と少し正気を取り戻したようではあったが、その後もやはり会話はほとんど成立しなかった。 相変わらず、わたしの感情はまったく動かなかった。ただ、父はやはり「自分がない状態」だということがよくわかった。彼は、誰かとの関係や、過去や思い出といった「おはなし」に閉じ籠ったまま自分を持たずに生きている。自分がない彼は、当然ながら他者との境界も曖昧なので、強烈に依存的で暴力的だ。 自分を持たずに立場や役割を生きてシステム化すると、人は依存的かつ暴力的になる。そして、その暴力は自分と他者の両方へ向かう。自分がないのはとても…

皆既月食と満月

夢の中で皆既日食を見ていた。はじめは月だと思っていたが、外に出てみると、暗い空に浮かぶ黒い円の縁を炎のように揺れる光が包んでいた。さらに、その皆既日食の下には満月が出ていた。 外に出るために靴を履いていたら、さくらがモルモットぐらいの大きさになって走り回り、足元にすり寄ってきた。確か母もその場にいたと思うが、印象がぼやけている。母は最近何度か夢に現れている気がするが、彼女は死んでから後、夢の中で言葉を発することがない。…

感情は誰にも何処にも関係しない

何かに懐かしさを感じたり、誰かやどこかを恋しく思うときというのは、実際には、その人との関係の中やその場所で味わった自分自身の内面の状態を思い出している。感情は、他者や場所など自分の外側にあるものに属するのではなく、常に自分の中で回帰するものだ。究極的には、物理的な存在や場所は、感情・感覚を呼び起こすきっかけでしかない。このことに気づいているかいないかによって、自分と自分の外側にあるものとの関係はまったく違ったものになる。 物理的な存在や場所といった形あるものを通じて形のないものを味わい、同時に、形のないものを通して形あるものを見ている。それはまた、自分の内側と外側の絶え間ない循環でもあり、この流れこそが生きている実感なのだろうと思う。…

「そのままでは死ぬ」と言われる夢

今朝見た夢で、わたしは誰かから「そのままでは死ぬ」と言われていた。夢の中のわたしの体には自覚のない病が進行していて、治療をしなければ死ぬという意味だった。わたし自身は特に感情が動くこともなく平然と笑っていた。そこは診療所のようであり会議室のようでもある明るく広々とした空間だった。近くには母のパートナーが座っていた。もしかすると母もそこにいたかもしれない。彼はわたしに治療を受けてもらいたがっているようだったが、何も言わなかった。…

Praha-Vyšehrad railway station, June 2019

Praha-Vyšehrad railway station, June 2019 Leica R6.2 Summicron R f2/50mm Kodak Ektar 100 過去に撮影したフィルム写真を整理しながら、懐かしい場所はいつでも自分の中にあることを確認する。土地や場所が懐かしいのではなく、自分の内側の状態が懐かしいのだ。 いい写真は、そうした感覚を呼び起こす。そして、おもしろいのは、それが実際に自分が訪れたことのある場所の写真であるかどうかはさほど重要ではないということだ。…