加害者も被害者も救済者も自分

> 10歳くらいまで毎日のように叩かれて育ったんだけど(行儀が悪いなど)、そのせいなのか、子どもを叱りながら全く非合理的なことに「叩いてしまえば簡単なのに」「痛みを味わせて凝らしめてやれ」という身体の疼きを感じるんだよね。非常に深いところに埋め込まれたスイッチ。悲しいし、怖い。 — Yutaro (@yutaro_today) January 9, 2021 [https://twitter.com/yutaro_today/status/1347775868458856448?ref_src=twsrc%5Etfw] このツイートに書かれていることはよくわかる。わたしの場合、子どもはいないこともあり、それが他者へ向けられることはなかったが、この「非常に深いところに埋め込まれたスイッチ」が、自分自身に対する暴力として働いていた。思い(都合)通りにならない自分を殴って言い聞かせたい自分と、それを押しとどめる自分とに長らく分裂していた(実際にわたしは身体的にも精神的にも様々な形で自分に暴力をふるっていた)。 自分の中に根深い暴力・加害の連鎖があること、そして、それによって自分の中が分裂…

人間の基礎設定

> もっと言うと「現実を拒絶し、都合に叶った『おはなし』を反射的に生きようとする」のが人間という生き物のデフォルトだ。カサブタが傷を覆うように『おはなし』に閉じていく反応を突き破っていくためには、人としての基礎設定が壊れている(幼少期に親や家族から壊されている)必要があるのかも。 https://t.co/U0fdIoSNcu — 木葉功一 (@kibakoichi) January 10, 2021 [https://twitter.com/kibakoichi/status/1348110739999924228?ref_src=twsrc%5Etfw] ちょうど今日、このツイートに書かれていることについて話パートナーと話していた。わたしが「目の前の存在や事実を拒否し、自分(立場)にとって都合のいい思い込みや思い入れに閉じこもる人が世の中にはあまりに多い。」言ったところ、彼は、「わたしは、むしろそれが人間なのだと思っている。現実を直視し、自ら思考し、意志的に行動する人は、ごく少数だ。」と言った。 わたしは、機能不全家族の中で日常的に暴力を受けて育ったので、…

感情についての対話

今日はパートナーと感情について話した。 彼は、感情とは基本的に自分が有する思考に基づく反応であり、反応は自らで選べると語った。実際に彼は、たとえば自分の中に怒りを自覚した時には、そのエネルギーを仕事に投入するそうだ。そうすると、結果的によく集中できて、良い成果が出せるのだと言う。 彼は、そのような自らの感情の扱い方を「コントロール」と言ったが、わたしにはそれはコントロールというよりも、「自己同一化しない術」だと思えた。自らの感情を自覚している時点で、彼は感情と自分を混同していない。だから彼は、感情というエネルギーをその時々の自分にとって活かせる方向性と行動を選択することができるのだろう。 彼が、他者や出来事など、自らの外側にあるものに対して感情的になることは稀だ。そういう意味で、彼は感情的に安定している(本人は「感情が薄い」と言っていたが、そういうことではないだろう)。それは、彼の中にある自他の境界線が明確で、自己投影や自己同一化が少ないからではないかと思う。 彼はまた、どんな感情もそう長くは持続はしない、もし持続するとしたら、それは自分がその感情を掴んでいたいからだ、とも言っ…

怪しい人

「外見からはカメラだとはわかりづらい一台目の流木ピンホールカメラを持ち歩いていると、いつも複数の人から訝し気な目で見られる。三脚付きの怪しい木箱を持ち歩く怪しいアジア人だと思われているかも。」と話したら、友人が「Miroslav Tichýみたいですね。」と言った。そうか、確かにそんな風に映っているのかもしれない。 少し前に、やっぱり三脚を付けた流木ピンホールカメラを持って歩いていたら、子どもたちに囲まれて、おそらくからかわれた(もしくは蔑まれた)のだが、言葉がわからなかったので、彼らの顔をじーっと見つめてしまった。そういえば、ずいぶん前に、夜の銀座でショーウインドウの光が街路樹を赤く染める様に見入ってしまい、夢中で写真を撮っていたら、いきなり近づいてきた知らない男性から「頭おかしいんじゃねーか」と言われたのを思い出した。あの時も、言われたことがよくわからなくて、やっぱりぼーっとしてしまった。 わたし自身はといえば、相手から不当な攻撃さえ受けなければ、どんな風に見られても気にはしない。そもそも、いい場所を見つけて写真を撮っている間にはそんなことは忘れている。ただ、時々チェコ語で「そ…

彼女はどの星へ

Facebookのタイムラインに、昨春に亡くなったある人のアカウントへの投稿が流れてきた。彼女のことが思い浮かぶと、わたしはいつもこの写真を撮った日のことを思い出す。同じく写真好きだった彼女と共に東京タワーの近くを歩きながら撮影した一枚だ。彼女はこの世を去った後に何度かわたしの夢に現れた。そう遠くないうちにまた夢で会うような気がしている。彼女は次にどの星へ向かったのか(向かうつもりなのか)を尋ねてみたい。…

Denebola

それがいかに多くの人々に受け入れられている習わしであっても、自らの生理にとって不自然なことを自分に押しつける必要はない。根拠も思想もない形式(立場)に自分を閉じ込めないことだ。そして、何であれ不自然だと感じたら、正直にそれを認めて、疑うことだ。 ひとつひとつこれをやっていると、世の中ではただの変人として孤立してしまうかもしれないが、他者からどのように見られようと、自分自身が納得して生きることの方がよほど重要だ。…