火事を目撃する夢と、前歯の部品が外れる夢

今日もずっと雨が降ったりやんだりで肌寒い一日。満月・月食だったからか眠くて仕方なく、朝食を食べたらまた眠ってしまった。丸一日眠って、印象的な夢をたくさん見た。 覚えているのは火事の夢だ。わたしは、生前の祖父母と共に暮らしていた立て替え前の古い実家の2階にいた。母の部屋の窓から、近所の家屋が燃えているのが見えた。白い煙が隙間から入りこんできたので、すべての窓をきっちり閉め直した。背後にいる母に注意を促してはいたが、わたしも彼女もそう慌ててはいなかった。 その後には、前歯の一部がぽろっと外れる夢を見た気がする。歯が抜けたのではなく、歯に取り外し可能な金属部品がついていて、それが不意に外れたような感じだった。実際には、わたしの前歯には小さな治療跡はあるけれど、外れてしまうような部分はない。…

虚ろな自分に気づくこと=自分の中にある被害者意識と加害者性を認めることが、連鎖を脱する鍵になる

> アメリカだけでなく日本もそう。建国の土台にある恐怖と、それを自分に欺く構造が、連鎖して新しく生まれてくる人たちに、ずーっと刷り込まれ続けてる。神話を遡っていくと「あれ?すごく変なことが書いてある、何でだろ?」と思う箇所がたくさんある。 https://t.co/QA1EcMmhcK — 木葉功一 (@kibakoichi) June 6, 2020 [https://twitter.com/kibakoichi/status/1269063238232100866?ref_src=twsrc%5Etfw] > 共通してるのは「上に向けての被害者意識・下に向けての加害者性」だ。人間は全員がこの構造の中にいるけれど、同時に一人ひとりの人格の中にもこの構造が入れ子で入っている。で、多くの人はこの片方しか絶対に認めようとしない。された人の中にはする資質が生まれて(使わなくても)埋め込まれてる。 — 木葉功一 (@kibakoichi) June 6, 2020 [https://twitter.com/…

Stillness in Chaos

昨日もまた、夕方に猛烈な眠気に襲われてそのまま眠ってしまった。おもしろい夢を見た感触は残っているのだが、内容は忘れてしまった。このところ、夕方から眠り、深夜に目覚めて、夜が明ける前から仕事や作業をするサイクルになっている。夢を見ている間に半影月食は終わったようだ。 外界との接触が限りなく少ない生活の中では、夢と現実の境目はどんどん薄くなっていく。自分と世界の境界もゆるんで、あらゆる分離が消えていく。感覚そのもの、時そのものの状態でいられるのは心地いい。 外が騒々しくなるほど、内は静かになっていく。しかし、外側に現れる様相が静かな時ほど、内側ではより深い変容が起きている。換羽期の鳥や回復期の動物が、じっと動かず過ごすのに似ている。 静寂と混沌のまま満たされる状態。 個であると同時に全体でもあるという実感と充足。…

Ticho

先週末あたりからまた、多くの言葉が読めなくなり、書くこともあまりない状態が続いている。世界は一層大変な状況になっていて、ある程度現状を追ってはいるけれど、わたしの中から言葉は出てこない。だから、無理に言葉(形)にはしない。仄暗い静寂の中を、形のないまま漂いながら、じっと耳を澄ますことが必要な時もある。…

教室、コンピューター、祖母の枕元にあったボストンバッグ

月曜日は見事な晴天で気温もぐんと上がったけれど、昨日今日と、曇りと雨が続いて肌寒い。年々旱魃が悪化しているので、雨が降るのはいいことだ。しかし、天気のせいかとにかく眠い。 昨夜は夢の中で学校のような場所にいた。わたしはどうやら途中参加者のようで、売店で必要なものを買い揃えていた。教室に入ると、各机の上に見たことのないコンピューターが設置されていた。スタートボタンを押そうとしたら、教師がやってきて「まずはわたしがセッティングします」と言いながらわたしの手を遮った。 その後に見た夢の中では、わたしは祖父母(彼らは既に他界した)と暮らしていた当時の古い実家にいた。確か、わたしは台所で洗い物や片付けをしていた。襖越しに祖父母が寝ている部屋の様子が見えた。眠っている祖母(顔は見えなかった)の枕元には荷物が詰め込まれたボストンバッグがあり、わたしは「ああ、彼女はここを出ていくんだな」と思っていた。…

水辺の記憶

夢の中で、わたしは湖か大きな池のそばに暮らしていた。初夏の夕暮れ時で、水辺を囲む雑木林からは土と草木の匂いが色濃く漂っていた。わたしは近所に住む外国から来たカップルに「あそこと、あそこに、居心地のいいカフェがある」などと話していた。あたりは仄暗く、静かで、心地よかった。 カラーとモノクロームのあわいのような夢の景色や、匂い、感触を思い返していると、様々な記憶が蘇る。過去にどこかで味わった草むらの感触、木の葉の下で揺れる光と影、水や土や草木の香り。もしくは、誰かの写真や物語を通して見た風景。いくつもの記憶が蘇っては混ざり合う。そうして豊かな混沌となり、やがてふと新たな景色として現れる。それが、夢か現かはどうでもいい。すべてはわたしの中から生まれる物語なのだから。…

アンドレイ・タルコフスキーの世界と夢見 ー 夢が現実を侵食していく

アンドレイ・タルコフスキーの『ストーカー』を観ながら朝を迎えた。ブラインドの隙間から見える雲が光っていたので窓を開けると、たくさんのツバメが飛び回っていた。自分と世界が溶け合っていくのを感じながら、朝の空気を味わっていたら、突然パラパラと音を立てて天気雨が降りはじめた。 タルコフスキーの映像は、わたしが内側で見ている世界によく似ている。それは、毎日のように夢で見ている世界であり、白昼夢の中で感じている世界だ。そして、彼の作品の中の自然の気配は、わたしが暮らしているチェコの自然のそれに似ている。 タルコフスキーの映画についてはよく「途中で眠ってしまった」と書かれている。しかし、わたしは『鏡』も『ストーカー』も最後まで見入ったままだった。一切ないといえるほど説明が省かれた詩的な映像の中に、光も闇もすべてが含まれている。その静寂にじっと目と耳を澄ませていると、わたしと世界を隔てる境界線が消滅していく。 『ストーカー』の中には「ゾーンは人間の精神を反映している」と語られるシーンがあるが、ならば、この世界はまるごとがゾーンだ。わたしを取り囲む世界のすべては、わたしの精神を映し出している。「…

母との旅の約束

今日は母からSkype電話を受けた。彼女は先週から新しい化学療法を受け始め、副作用がかなりきついそうでしばらく寝込んでいたが、今日ようやくPCの前に座れるぐらいになったと言っていた。20kgほど痩せた彼女は、髪もすっかり抜けてしまったけれど、話している間の表情に変わりはなかった。彼女の体調を考慮すると遠出はできそうにないけれど、できれば近いうちに、そして、できればわたしのパートナーも一緒に、実家からそう遠くない場所へ旅行に行こうと約束した。…