絵のこと

絵はいつでも練習のつもりで描いているが、とはいえいずれも描きたくて描いたものばかりだ。中でも特に「これを描きたい」と強く感じたものは、実際に出来上がると「一体これは何だろう、これでいいのだろうか」と戸惑いを感じることが多い。しかし、絵描きの友人は毎回そういう絵を好きだと言ってくれる。そして、それはとても嬉しい。…

Scott Kahnという画家を見つけた

昨夜からふとすると泣いてしまいそうな感覚が持続している。とはいえまったく悲しくはないし、辛くもない。なんだかわからないけれど身体の深いところが静かに震えていて、それが漣のように広がって零れ出しそうな感じがする。 Instagramで偶々目にした彼の作品に強く惹かれて、すぐに名前を検索したところ、数日前に投稿されたらしいこのインタビューを見つけた。どの絵もとてもいい。油彩画だけでなくシルクスクリーンもすばらしい。…

ノスタルジア

Vと話していて改めて確認したのは、わたしが惹かれる/描きたい/撮りたい眺めは基本的にがらんとして空白や余白が多く、多くの人にとっては退屈な、あるいはよくわからないものかもしれないということだ。 実際に、描かれた/撮られたものがはっきりと何であるかわかる絵や写真の方が、他者からの反応が多いのは確かだ。とはいえわたしはこれからも変わりなく、自分が惹かれる眺めやものを、描いて/撮っていく。 そして、わたし自身もなぜそういう眺めやものに惹かれるのかはわからない。わからないから描きたい/撮りたいのかもしれない。そしてそれでいい。夢で見たような、あるいは遥か昔の記憶のような、自分の中にある懐かしいところに呼応する眺めやものに惹かれ続けている。 先日互いの写真集を贈りあったイスラエルの写真家とは、おそらくそうした感覚的なところで共振しているのだと思っている。見ている/感じているものが近いのだろう。そしてそれはおそらく肉の目で見えるものではない。偶にこうして感覚的に共振する人にぽつりぽつりとめぐり逢うのはおもしく、そして嬉しい。…

循環していられればいい

昨日はシャワーの最中に強い倦怠感がやってきて手の震えと息切れを味わい、貧血か?低血糖か?と思いながら少し食べて休んだらやがて回復した。今日は睡眠不足のまま集中して絵を描いた後、脱力感と猛烈な眠気に襲われて眠りこんだ。満月だったし、PMSでもあるし、あれらもまた揺らぎだったと思っている。 相変わらずなかなかシャワーができないが、今週末はやっと頭が洗えてすっきりした。シャワーができない・外出ができない状態にある自分を自分で責めなくなってからは実に楽だ。 最近身近な人が医師の診断を受けてADHDの治療を開始し以前よりもずっと快適に過ごしている。わたしは相変わらずOCDがあり、おそらくADHDの可能性もあるとは思うが、普段はなかなかシャワーや外出ができなくても、仕事や必要な用事の際にはできているので問題はなく、このまま無理せずやっていくつもりだ。 ここしばらくは毎日数枚ずつ絵を描いていて、描くことで心身の循環が保たれているのを実感している。冬季の数少ない晴天の日には、外に出なければ写真を撮りに行かなければと焦燥感に駆られてはできない自分を責めがちだったが、絵を描きはじめてからは、そういう…

イズムィコさんと本屋を渡り歩く夢、日本の企業から電話がかかってくる夢

眠くて眠くていくらでも眠れそうだ。眠っている間はずっと夢を見ていて、それも内容がリアルで濃密なので、目が覚めた後も夢が継続しているような感覚がある。 夢の中で日本の書店を訪れていて、ユーリィ・イズムィコさんの著書を購入していた。どう展開したかは忘れたが、誰かからもう一冊封筒に入った彼の著者をもらった。そして、イズムィコさん本人と一緒に書店を渡り歩いた。大きな身体をした女性店員がイズムィコさんに「あなた、内臓にガンがあるよ」と言った。 わたしも彼の内臓にガンがあるのが感じられていた。とはいえ、そこに否定的な意味はなく、彼もわたしも特に驚くでもなく「そうなんだ」と受け止めていた。その後わたしたちはワゴン車(バンかも)に乗って移動した。 夢の中では一緒にいたのはイズムィコさんだったが、その後夢が展開する中でいくつか別の存在に変化していったような気もする。いくつもの印象が重なっているので、今回たまたま脳が象徴的に持ち出してきたのがイズムィコさんだったのだろう。 別の場面または別の夢では、わたしはごちゃごちゃと散らかった部屋にいた。母がそこにいるようだったが姿は見えなかった。電話がかかっ…