会うべき人に会い、死者と再会する旅
何を話したか、何をしたかは重要ではなく、会うべき人とは会うことになり、そうするとそこにただいるだけで共振は起きる。それだけで十分で完全だった。 今回の日本滞在は、死者と再会する機会でもあった。肉体を離れていった人たちがこの世界に確かに存在していたことを思い出し、そして、彼らのエッセンスは今もこの世界をめぐり続けていることを確認した。それは、風であり、波であり、光だった。…
何を話したか、何をしたかは重要ではなく、会うべき人とは会うことになり、そうするとそこにただいるだけで共振は起きる。それだけで十分で完全だった。 今回の日本滞在は、死者と再会する機会でもあった。肉体を離れていった人たちがこの世界に確かに存在していたことを思い出し、そして、彼らのエッセンスは今もこの世界をめぐり続けていることを確認した。それは、風であり、波であり、光だった。…
だんだんと日が暮れて、空が珊瑚色に染まったあと、世界がゆっくりと深い藍色に包まれていった。心地よい風が通り抜けて、たくさんの光がちらちらと揺れていた。 今回の日本滞在最後の夜は心がじんわり溶けていくような優しい時間となった。ホテルに辿り着いてから振り返ると、思わず涙ぐんでしまいそうになるほどいい時間だった。まるでずっと昔にどこかで共にいたのではとすら感じる人との、新しくも懐かしい出会い、そして共振。この時、眺め、感覚を、いつか思い出す日が来るだろう。 ずっとずっと夢を見ているようだ。そう感じられるほどすべてが静かで美しかった。生きながら瞬間ごとに死んでいると感じ、こちらとあちらは違うようで同じだった。形あるもの、形なきもの。やっぱりきっとすべてが夢なんだろう。…
皇居の周囲をしばし散策。東京で暮らしていた頃には、仕事帰りに時々この辺りを歩いた。丸の内界隈も思ったより人出が多かった。ホテル滞在にもそろそろ疲れてきたので、チェコの自宅でゆっくり横になりたい。…
ホテルのある銀座界隈は週末だからかすごい人出なので(それでもコロナ感染拡大の影響なのか先週よりも随分すいているらしい)、丸の内まで逃げてきた。15時を過ぎていたので食事メニューをオーダーできるお店は少なく、タパスメニューのあるスペイン料理店のテラス席に滑り込んだ。担当してくれた店員さんとチェコビールの話でひとしきり盛り上がった後は、人通りの少ない静かな丸の内の眺めを楽しみながら遅いランチ。それにしても東京はすごい街だなあ。…
東京で働いていた頃、仕事帰りによく一人でさまよっていたあたりを、久しぶりに歩いた。交差点の向こうから当時の自分がふと現れるような気がして、なんだか不思議な気分になった。 東京駅まで迎えに来てくれた友人と、混雑していないテラス席がある店を探し歩き、東アジアのどこかの街の屋台のような場所で夕飯を食べた。 やっぱり、日本の街中に佇んでいると、まるでゲームやアニメーションの世界に迷い込んだような気分になる。建ち並ぶビルも、通り過ぎていく車も、行き交う人々も、創作物の中のワンシーンのようで、まるで映像の中にいるようだ。…
今日は、チェコ雑貨店を営む中高校の同級生(思いもよらぬ偶然によって2年前に約25年振りに再会した)が車で迎えにきて、駅まで送ってくれた。東京では、別の友人が改札口で待ってくれていた。 今回の日本滞在中は、友人たちにたくさん助けてもらっている。今回は天気にも恵まれている。富山~能登の旅では、わたしが外にいる間はずっと晴れていたが、最後に車に乗った途端どしゃ降りになった。東京でも姫路でも、結局傘は使わずに済んだし、友人たちからは「天気を操る人」と呼ばれた。このまま最終日まですべてよいタイミングで過ごせそうな気がしている。…
日本の街中に佇んでいるとふとゲームの世界あるいはアニメーションの世界に入り込んでしまったような感覚に陥ることがある。建物も人々もすべてが映像のように見え、まるで別次元に迷いこんだかのように感じられる。…