サーミランドに到着

虹の輪(ブロッケン現象)に守られて空を飛び、いよいよサーミランドに到着した。 イヴァロ空港からイナリへ向かうシャトルバスの運転手さんがイヴァロ出身・在住とのことだったので、昨日ヘルシンキ空港のカフェでイヴァロ出身の女性スタッフに会ったことを話すと、「それは〇〇だよ、息子の友達だ」と言われた。そして、イヴァロは人口4000人ほどの町で、住民はお互いの名や顔をよく知っていると話してくれた。 また、この運転手さんはイヴァロでタクシー会社を経営している方だった。おかげで、再来週に必要なイヴァロのホテルから空港までのタクシーを確保することもできた。もらった名刺を見たら、事前に調べて予約しようと思っていたタクシー会社だった。…

幸先のいい旅のはじまり

ヘルシンキ空港に来るといつも立ち寄るカフェで、いつものKorvapuusti。オーダーをとってくれたスタッフの女性にどこから来たのかと尋ねられ、今日プラハからヘルシンキに到着し、明朝イヴァロへ向かうと答えると、彼女はイヴァロ出身で、とてもいい季節だと話してくれた。幸先のいい始まり。…

ヘルシンキのカフェで

先月ヘルシンキでお会いした方とは、2018年にプラハのアンティークショップでばったり出逢った。その後、彼の同行者だった人とは、柴犬と共に暮らしているという共通点もあって時折メッセージを交わしていたが、彼とはまったく交流はなく、かれこれ40年ほどフィンランドで暮らしている方だという以外、わたしは彼について何も知らなかった。 今回初めてゆっくりお話をして、彼が一時期京都大丸に勤務していたことを知った。同じ時期に、わたしは大学生として京都大丸の近所に住んでいて、高島屋でアルバイトをしており、卒業後も近くで働いていた。わたしたちは「きっとどこかですれ違っていたはずですね」と笑った。ヘルシンキのカフェで、30年近く前の京都の街並みや生活が記憶の中から蘇るおもしろい時間だった。 彼は20代前半に貨物船で欧州へ渡り、あちこちで働きながら長らく転々とした後、条件が偶々一致してフィンランドに定住することになったそうだ。「当時はロンドンに住みたかったんだけどね」と言っていた。わたしも「ポルトガルへまた行きたい」などと言っていたはずが、あれよあれよという間に条件が整って、急流に運ばれるようにチェコで暮ら…

Eero Järnefelt - Koli, 1917

Eero Järnefelt (1863–1937) Koli, 1917 この作品は凄まじかった。じっと眺めていると、自分もコリの丘の上に立っているような錯覚に陥った。この色彩のなんと素晴らしいこと!…

ヤルヴェンパー美術館

この日は、エーロ・ヤルネフェルト(Eero Järnefelt)の作品を観るためにヤルヴェンパー美術館(Järvenpään taidemuseo)を訪ねた。ヤルネフェルトもまた、20世紀初頭にトゥースラ湖(Tuusulanjärvi)周辺に集まった芸術家コミュニティのメンバーの一人であり、この美術館には彼の作品が数多く所蔵されている。こじんまりとした美術館ではあるが、傑作がずらりと並ぶ展示は圧巻だった。中でも、「フィンランドの原風景」と言われるコリ(Koli)の風景を描いた作品はあまりにすばらしくて、できることならずっと眺めていたかった。…

Järvenpää

ヘルシンキから電車に乗って、約30分ほどでヤルヴェンパー(Järvenpää)に到着した。ここでは確かにペッカ・ハロネンの絵の中のように雪が積もっている。駅のすぐそばには、作曲家ジャン・シベリウスの銅像が立っている。彼が妻アイノや家族とともに暮らした家「Ainola(アイノラ)」はここから2㎞ほど南、トゥースラ湖のそばにある。…

車窓から

知らない土地で電車に揺られながら窓の外を流れる風景を眺めるのは楽しい。家族の死、大切な存在の死が続き、悲嘆に暮れる暇もなく死後のさまざまな手続きや実家の処分、厄介な親族との話し合い等に追われて、精神的にひどく疲弊していたが、この旅の間に少し回復できた気がする。…

Järvenpääへ

1月17日もヘルシンキは晴れ。昼過ぎの気温は-6℃と前日よりもあたたかい。公園はたくさんの鳥たちでにぎやかだ。ヘルシンキ中央駅内にあるカフェで軽く腹ごしらえをしてから、電車に乗ってヤルヴェンパー(Järvenpää)へ向かう。…