生きるために
写真を撮っている時だけ生きている。 とふと頭に浮かび、生きるために撮っているんだなと思った。 ”生きている”のは、 この世界で”わたし”を構成する一切の要素とは異なる”何か”だ。…
The River Lužnice / Reflection, April 2021 6×4.5 Driftwood Pinhole Camera Kodak Ektar 100…
The Railway Bridge over the River Lužnice, April 2021 6×6 Driftwood Pinhole Camera Fomapan 100…
Mr. and Mrs. Mallard Duck, March 2021 Leica R6.2 Summicron R f2/50mm Fomapan 400…
Sunlight, June 2020 6×6 Driftwood pinhole camera Ilford Delta 100…
Swans, May 2020 Driftwood Pinhole Camera Ilford Delta 100…
写真を撮っている時だけ生きている。 とふと頭に浮かび、生きるために撮っているんだなと思った。 ”生きている”のは、 この世界で”わたし”を構成する一切の要素とは異なる”何か”だ。…
嫌悪しようが、拒絶しようが、在るものは在る。そして、排除しようとすればするほど、むしろそれはますます強大化して迫ってくる。在るものを在ると認めると、嫌悪や拒絶を生じさせていた分離はなくなる。それから、どのように境界線を引くかを自分で決めればいい。 わたしたちが無意識に否定するもの、嫌悪するもの、排除したいものは影となり、その影は別の誰かや何かとして具現化する。嫌だ、消えろと思うほど、影はますます濃さを増し、それを具現化する存在や状況を招き続ける。在るものは在ると認めることによって、分離と対立はなくなり、影は統合される。 何かを否定し、拒絶し、無くそうとするほど、ますますそれを作り出すということは、この世で二極化したもの(この世界ではすべてが二極化せざるを得ず、常に真逆の性質が同時に発生し続ける)は、実は常に統合に向かうということだろうか。 分離し対立して見えるものも、一段上から見れば同じ一つのものであり、どちらも同じところから生じている。…
Railway bridge over the River Lužnice, April 2021 6×4.5 Driftwood pinhole camera Kodak Ektar 100…