Waldemarsudde

今日は、ストックホルムを訪れた目的の一つである、「絵を描く王子/芸術の王子」と呼ばれるネルケ公爵エウヒェン王子(Prince Eugen, Duke of Närke)の邸宅跡「ヴァルデマーシュウッデ(Waldemarsudde)」を訪れた。 ヴァルデマーシュウッデは、展示されている作品も、邸宅跡も、周辺の環境も、すべてが実に美しい夢のようなところだった。一度は観たかった作品群にようやく出逢えただけでなく、親切なスタッフから一時間近くも色々なことを教えてもらい、実に贅沢な時間を過ごした。 この美術館は、エウヒェン王子の元邸宅と、後に新設されたギャラリー棟に分かれている。元邸宅は3階建てで、1階には当時のインテリアや家具が展示され、2階では、ギャラリー棟の特別展示「In Bloom – Art & Botany」に合わせたのか、王子や当時王子と交流のあった画家たちが描いた花と植物の作品が展示されていた。 3階へと続く階段を昇ると、回廊にいよいよ私が見たかった王子の風景画作品が現れた。3階にある一番広い部屋は、王子のアトリエだったそうだ。大きな窓から優しい光が降り注ぐこの部屋には、王…

ストックホルム散策

今日は美術館がすべて休館日だったため、最初からのんびり過ごすつもりだった。昼近くまで眠って移動の疲れを癒した後、ゆっくりとホテルを出て、フムレゴーデン(Humlegården)公園の向かいに建つ、かつてアクセル・ファールクランツ(Axel Fahlcrantz)ゆかりのサロンがあったという建物までのんびり歩いた。 ストックホルムの中心部にありながら、フムレゴーデン公園は緑に溢れていて、静かで実に居心地のいい場所だった。ファールクランツもこの公園を歩き、木々を見上げ、光や空の変化を眺めたのだろうかと想像しながら歩くのは愉快だった。 たくさんの大きな木々が立ち並ぶ中、特別にいい感じの木を見つけて近づいたところ、傍にもう一人、その木の写真を撮っている女性がいて、言葉は交わさずとも、束の間の共振を味わった。…

ストックホルムへ

先月に引き続き、再びスウェーデンにやってきた。 今回滞在するのは首都ストックホルム。ストックホルムは地下鉄の駅がユニークで、90以上の駅で、剥き出しの岩盤に描かれた様々なアートが楽しめるそうだ。ホテルの最寄駅「Stadion駅」は、1912年に開催されたストックホルム・オリンピックのメイン会場となった競技場のすぐ近くにある。改札近くの壁には、大会当時に作られた公式ポスターも飾られていた。 駅から地上に出てすぐ、たまたま通りがかった建物の入口に掲げられたプレートに目が留まった。なんと、1889年~1896年にネルケ公爵エウヒェン王子(Prince Eugen, Duke of Närke)がアトリエを構えていた場所らしい。今回私はまさに、彼や、彼と同時代に活躍した、エウヒェン・ヤンソン(Eugène Jansson)、カール・ノードシュトレム(Karl Nordström)、ブルーノ・リリエフォルシュ(Bruno Liljefors)、そして敬愛するアクセル・ファールクランツ(Axel Fahlcrantz)といった画家たちの足跡を追ってこの街に来たのだ。この偶然に、まるで王子から「…

絵を描くことと、自然環境への影響

季節柄か、最近は屋外制作の動画をよく見かける。中には、絵の具をそのまま地面や海に垂れ流している作家もいて、作品の良し悪し以前に、環境への配慮の方が気になってしまう。ある作家は、コメント欄に投げかけられた質問に対し「生分解性絵の具を使用している」と書いてはいたけれど。 パステルよりも携帯性が高そうだと思って始めた水彩画で、まず直面したのは、筆を洗った水の処理方法だった。現在は描く絵が小さく、水の量も少ないため、使用後の水を一晩から一日置いて絵の具の成分を沈殿させ、上澄みを除いた残りを使用済のキッチンタオルや古布に吸わせて可燃ごみとして廃棄している。 そういえば、水彩絵具に目を向けたそもそものきっかけは、屋外で絵を描くにあたって、重金属顔料を含むパステルの粉を自然環境の中にまき散らしたくないなと思ったことだった。3年とちょっとパステルで絵を描いてきて、画材の特性にも少しは慣れたのか、最近は粉もあまり飛び散らなくなり、指を拭くキッチンタオル等の使用量も随分と減った。とはいえ、風も吹いている屋外では、パステルの粉が完全に飛び散らないようにするのは不可能だ。 生きて存在している限り、環境へ…

三十年後には

少しずつでも3年続けてみれば、技術や技能といった出力面だけでなく、視野や感性など内的世界にも、想像を遥かに超える変化が起きるのだなと実感する。見えていなかったものが見えるようになり、思いもしなかった挑戦が始まる。同時に、内なる世界もまた、広がりが増すと同時に、より明らかになっていく。 意図が洗練されていく。 やがて10年。そうして30年。30年後はまだ生きて動けているだろうという希望も込めて。 ただ継続するのではなく、破壊と再生、変化と変容を味わっていきたい。…

Light between the Storms, 2026

Light between the Storms 30-minute pastel sketch through the window Pastel on Pastelmat 18 x 24 cm⁡⁡ ストームの合間に現れた束の間の光。普段パステルで絵を描いている部屋の室温がようやく30℃を下回り、久しぶりにパステルの蓋を開け、窓の向こうの空をスケッチした。…

一瞬の永遠

Instagramで繋がっている素晴らしい画家さんたちが、一人はアメリカの公募展で作品が選ばれ、もう一人は母国で個展を開催されている。どちらも実に喜ばしいことだ。そして、屈託なく、即座にお祝いのメッセージを送れる自分がいることも、また嬉しい。 10年前の自分なら(そして当時もし絵を描いていたなら)、彼らと自分を比較して、不要な焦りを感じたり、自分なんてダメだと落ち込んだりしていたかもしれないなと思う。しかし、今は「何か別の目的のために絵を描いているわけではない」とわかっているので、自分が揺らぐことがない。何より、素晴らしいアート作品が多くの人の目に触れるのは、本当に素敵なことだ。 自我の置き所が変わったのだろう。以前の私は、社会内の相対的な自分だけを「自分」だと思って生きていた。だから、外側に見るものに影響されては自己も揺らいだ。 相対性からなるべく抜け出し、大きな意図を通せる自分へと変化できたことは、何よりも幸運だと感じている。 何かの手段としてではなく、行為そのものが目的になるときこそ、「生きている」時間だと感じる。時そのものになり、あらゆる分離が消える「一瞬の永遠」。そして…